プロローグ
手塚 代表取締役名誉相談役
1996年8月の夏休み、当時ワシントンに住んでいた筆者は家族と共に、欧州へ10泊11日の休暇旅行に出かけた。目的地はパリと、南ドイツのバイエルン地方を南北に縦断するロマンチック街道。しかしそれだけなら月並みな観光ルートであり、家族にはそれで十分魅力的なテーマだったはずだが、実は筆者には隠れたテーマがいま一つ存在した。
この旅は、バイエルン王国最後の王、いや中世から19世紀まで連綿と続いた中部ヨーロッパの封建君主制の事実上最後の「王」であったルードヴィッヒ2世の建てた城をめぐる旅だったのである。
ルードヴィッヒ2世は19世紀末、欧州が封建国家から国民国家へと大きく軸足を進めて各地で戦乱が勃発、一方では産業革命がもたらした社会構造変化が、大きなうねりとなって社会を変革していく中で、否応なくその波に飲み込まれていく時代の1863年、18歳にしてバイエルン王国の第4代国王に即位した。その一方でルートヴィッヒは封建貴族的血筋(ヴィッテルスバッハ家直系)をひく若き「夢見る王」として、そうした欧州情勢の現実から次第に目をそらしはじめ、壮年期にはドイツロマン派の巨匠ワーグナーの描く中世騎士物語と神話の世界に心酔し、さらに中年期に入ってワーグナーが王の元を去ると、なんと中世騎士物語そのもののお城を築城し始めるのである。
ルードヴィッヒは41歳でシュタルンベルグ湖で謎の水死を遂げるまでに3つの城を建設している。それぞれの城には王の夢がそれぞれ託されており、まったく異なった構想、趣向となっているのだが、その中で完成されたのは南バイエルンのオーバーアマンガウの街に程近い森の中にたたずむリンダーホーフ城だけである。後のふたつは、ドイツ最高の観光地として有名なフュッセンのノイシュヴァンシュタイン城。そして逆に最も知られていないのが、東のオーストリア国境に程近いキーム湖に浮かぶ小さな島に築城されたヘレンキームゼー城である。
それぞれの城の趣、構想については後段にゆずるとして、簡単にその特徴を記すれば、ノイシュヴァンシュタイン城はワーグナーの歌劇「ローエングリン」をモチーフとした、中世の御伽噺に出てくる白鳥の王子様の城(ノイシュヴァンシュタインはドイツ語で「新白鳥石城」)、リンダーホーフ城は同じくワーグナーの歌劇「タンホイザー」を基本モチーフにした、やはり中世風の城であるが、一方ヴェルサイユ宮のトリアノン離宮を模したロココ調のたたずまいと、ルネサンスイタリア様式と東方趣味を合わせたエキゾチックな庭園を持っている。最後にヘレンキームゼー城であるが、これは太陽王ルイ14世の建てたヴェルサイユ宮殿を完全に複写しようとしたものである。
筆者は今回の夏休み欧州旅行で、このルードヴィッヒ2世の建てた3つの城を全て訪ね歩くことを企画した。それは筆者が王と同じく心酔するワーグナーのモチーフがこれらの城にちりばめられているからということにもよるが、それにも増して1973年にイタリアの巨匠、ルキーノ・ヴィスコンティがルードヴィッヒの生涯を4時間に渡って描いた名画「ルードヴィッヒ」の中で、渾身の演技をするヘルムート・バーガーを凌駕して圧倒的な存在感を出していたのがこれら3つの城だったという強烈な印象に誘発されてのことであった。