ノイシェバンシュタイン城 2
手塚 代表取締役名誉相談役
およそ1時間ちょっとのツアーを終え、城の門を出て、馬車が来たのとは反対の方向に徒歩15分、小さな渓谷の上にかかるマリエン橋まで歩く。ここからのノイシェバンシュタイン城の姿は実に美しい。バイエルンの平野が広がる中に、白亜の優美な城が浮かび上がっている。この城ははっきりいって外から眺めるのが最も美しいと思う。絵になる風景だ。それに比べると内部はあまりに重苦しく、暗い雰囲気である。内部を見るならヘレンキームゼー城の方が遥かに素晴らしい。
ところでこのマリエン橋から眺めると、この城の基礎は山並みの中腹にコンクリートを流して作った土台を築くことで確保していることが、はっきりと見て取れる。ノイシェバンシュタインが中世の城ではなく、近代建築によるその擬態であることをあらためて認識する。しばし写真などをとってから、橋の側から出ているミニバスに乗ってふもとのホテルまでもどる。ちょうどお昼になったので、Hotel Mullerのテラスレストランでバイエルン地方のソーセージの昼食を取る。昼食後、土産物屋などをのぞく。
伊丹空港にて それにしてもすごい観光客だ。もう夏休みのシーズンも終わりだというのに、次々と観光バスが乗り付けてくる。日本人もかなり多い。
ルードヴィッヒは国家財政を傾けて築城を続け、しまいには禁治産者として幽閉されてしまい、シュタルンベルグ湖で謎の死(自殺という見方が強い)を遂げるのだが、皮肉にもこうしてルードヴィッヒの残した城が、今日のドイツ最大の観光資源となって、膨大な観光収入をもたらしているのである。
これはひとえにルードヴィッヒの狂気が、美への憧憬、王の夢としてこれらの城に結晶していて、それが人々のロマンと想像力を掻き立てているからにほかならない。
どこかの国の公共投資では、各自治体が競って、未来永劫役に立つかわからない道路や鉄道、公民館や市民ホールなどに湯水のように税金を投じているが、そこには夢もイマジネーションもない。ひたすら隣の街や県がやるならおらが街も同じものが欲しいという、嫉妬や平等意識を動機としている。皆で同じようなコンサートホールを、例えば東北地方だけでも3つも4つも建設して、その結果、中を埋める企画の奪い合いになって、長期的に運営が共倒れしていって財政赤字を増やしていく、といった愚を見るにつけ、ルードヴィッヒの散財をあきれている場合ではないと思ってしまう。少なくとも王の行った公共投資は、バイエルン王国を崩壊させはしたものの、ドイツ国民100年の計ではかれば元が取れているのである。それはひとえに、絶対王権を夢見た王個人の強烈なイマジネーションを具現化した投資だったからである。
さて、こうして今回のテーマであったルードヴィッヒの3つの城の見学を無事終えて、午後1時半にここホーヘンシュバンガウのホテルを後にする。高速に乗って西に向かってドライブし、ボーデン湖でスイスに入り、一路チューリッヒへ向かう。今回の旅行最後の夜はチューリッヒの空港の側にあるヒルトンホテルである。4時間あまりのドライブで夕刻ホテルに到着してポークの串焼きの夕食。
翌日、9月1日、朝7時過ぎにホテルを出て空港でレンタカーを返却、空港のカフェテリアで朝食をとり、午前10時5分発のエアフランスでパリに飛び、そこでエアフランスのワシントン行きに乗りかえて帰米の途に着く。同日の夕刻4時、ワシントンに無事到着。こうして10泊11日の欧州旅行は無事終わった。
(この項終わり)