新イタリア紀行【1】
手塚 代表取締役名誉相談役
2000.3.19
97年10月末に、3泊4日の駆け足でイタリアを訪問した。これが筆者にとって5回目のイタリア訪問になる。
同行するのはNKK本社のM博士。10月26日、小雨のふる日曜日にワシントンを出発し、6泊7日でニューヨーク、ピッツバーグ、セントルイス、ロンドン、ミラノ、モデナと6都市をまわり、飛行機の中で26時間余り(自動車、列車を含む乗り物の中では計40時間余り)を過ごすという強行軍の出張であった。
シカゴを28日火曜日の夜に発ったユナイテッドのB-777でロンドンについたのが29日水曜日の朝9時50分。荷物はスルーでミラノまで入れてあったので、手荷物だけもって地下鉄に乗り、ダウンタウンに向かい、途中キングスクロス駅で乗り換えてNKKロンドン事務所のあるモーゲート駅まで約1時間半の道のりだ。
かつて1度訪問したことのあるロンドン事務所を、記憶をたよりに探し当て、事務所に入ったのが午前11時半すぎであった。それから韓国料理の昼食(意外にもロンドンでもイギリス人がビビンバをつついて、店は満員だった)をはさんで、午後2時まで約2時間半、仕事をこなして、再び地下鉄でヒースロー空港に取って返し、4時半発のアリタリア航空243便でミラノに向かった。
ミラノのリナーテ空港についたのは夜の7時半。そこからミラノ市内、中央駅近くのヒルトンホテルまでタクシーを飛ばし、ようやく9時近くにホテルにチェックインした。28日の朝、ニューヨークを出てセントルイスに向かい、昼間の仕事をこなしてから夕刻シカゴに飛んで、ロンドン経由でここにくるまでに、実に33時間が経過していた。その間、寝たのは大西洋線のユナイテッドの中の2時間だけ。かなり疲れているといえよう。
荷物を部屋に入れた我々は、さっそく歩いて10分のところにあるRistrante Cavallini(ミシュランのガイドブックで紹介されていた)を訪れ、91年のバルバレスコを空けながら、ガイドブック片手にイタリア語のメニューと格闘して料理の素性を洗いだし、結局地中海風スパゲティと海老と烏賊のフライ盛り合わせを注文した。
これはいずれも当りで、パスタに関してはまず米国では食する機会のない「正真正銘のアルデンテ」な茹でかげんに、甘味の深いトマトソースとムール貝が合わせてあり、大満足。フライもやや小ぶりながらも実に香ばしくカラっと揚げてあり、旅疲れの胃にちょうど良く納まってくれた。ワインも秀逸で家鴨の形をしたデカンターにデカンタージュされ7年の香気が解き放たれて実にまろやかな味わい。まずは満足な午餐だった。ホテルに帰り、メラトニンを一粒のんでベッドに入ると、時差も関係なく翌朝まで死んだように寝てしまった。
翌30日は午後1時半からモデナ市郊外にある有名なF-1レースカーメーカーの開発チームを訪問する予定になっており、モデナに向かうべく8時前にヒルトンをチェックアウトし、大きな荷物は翌日もどってくるからとフロントに預け、ミラノ中央駅に向かった。
乗車券売り場で英語の通じる窓口(上の電光掲示板に英語でOPENと書かれている)を見つけてモデナへの往復チケットを買うと、駅員が「オマエら何時の列車にのるつもりだい?」と聞いてくる。8時半の列車だと答えると、なんと8時30分の列車は11月からのサービスで、今日の次の列車は10時5分発だという。翌月11月のトーマスクック時刻表を見てダイヤを教えてくれたロンドン事務所を恨みつつ、結局ミラノ中央駅で1時間半余り時間を潰すことになる。
ミラノ中央駅は欧州の主要な鉄道ターミナルに共通して、折り返し出発型の始発駅で、その駅舎は巨大なビル一つ分は有にある、堂々の伽藍建築である。中央コンコースは10階建てはあるかという巨大な空間のアーケードになっており、米国では飛び抜けて立派なワシントンのユニオン駅、フィラデルフィアの30ストリート駅をはるかに凌ぐ大理石造りの壮麗な建築物である。こういう建物の問題は、建物の中にいても暖房効率がめっぽう悪く、長くいると底冷えすることであるが、我々はなんとかコーヒーで寒さをしのぎながらカフェの席で出発時刻を待った。
10時前にホームに向かい、温かい一等車両に乗り込んでやれやれと思っていたのも束の間、出発時刻を過ぎても列車は一向に発車しない。
隣の席のイタリア人たちがしきりに窓を開けて外を見ているのであるが、車内放送のイタリア語は全く理解できず、不安にかられてしまった。「まあ、他の客が降りないのだから何時かは出るのでしょう」などと呑気なことを言っていると、突然列車が動きだした。やれやれこれで何とかモデナに行けると思った丁度その瞬間、列車は突然止り、再び中央駅ホームに逆戻りを始めてしまった。ふりだしに戻って停車。さてどうしたものかと当惑している間も、何やら車内放送でしゃべっているのであるが、チンプンカンプンの悲しさである。
唯一希望がもてるのは、既に出発時刻を30分近く過ぎているというのに、新たに乗り込んでくる乗客がいることだった。「このぶんならキャンセスはないですね。どこかには行くんでしょう。」とひたすら楽観的に構える。(イタリアでの旅の秘訣は、この楽観的に構えることに尽きるというのが、筆者の教訓である。)この間、車両が2、3回揺れたところから察するに、どうも機関車の調子がおかしく、新しい機関車に付け替えていたというのが正解のようである。