新イタリア紀行【2】
手塚 代表取締役名誉相談役
2000.3.20
かくして列車は30分余り遅れてミラノを発った。キャンセルや大幅な遅れなど当たり前のイタリアにおいて、これはまだましな方だったに違いない。
途中かなりスピードを上げて挽回したのか、列車は結局予定より20分ほどの遅れで午後12時20分にモデナ駅に到着した。まずホテルにチェックインしてから訪問先に向かおうということで、駅からタクシーを拾ってHotel
Mercureと告げると、運転手はわかったらしく我々を乗せて走り出した。
ロンドン事務所ではMercureは大手のホテルチェーンなので絶対わかりますよと聞いていたので、確かにそのとおりだったと思っていたのも束の間、タクシーはダウンタウンを出て高速道路に乗って、全速力で滑走し始めてしまった。見る見るうちにモデナ市中心のドゥオモが遠ざかっていく。いったいどこへ連れていかれるのだろうとしばし不安になりつつ、ホテルの住所を良く見ると、Campo
Galliano(ガリアノ村)とある。
「こりゃ隣町ですよ。まずいなー。」と言っているうちにもメーターはどんどん上がり、結局20分ほど走って、郊外の街道沿いのトラックの集配センターのような場所の中に目指すホテルが見えてきた。これでこのタクシーを帰してしまったら、またホテルまで呼び出すのに時間がかかってしまうと咄嗟に判断し、乗っていったタクシーをホテルの前で待たせ、とりあえずチェックインすることにした。めずらしく中国系の愛想の良いフロント嬢がくれた部屋に行ってみると、なんとまだ掃除ができていない。これじゃわざわざホテルにきたかいがなかったとブツブツいいながら、結局荷物をフロントに預け、くだんのタクシーに再び乗り込み、モータースポーツ・ファンには特別な響きを持つF社の聖地、マラネロの村に向かった。
結局昼食を取り損なったものの、約束の時間の午後1時半まで10分ほど余らせて、F社のF-1開発グループの建物に到着した。同社はF-1レースでは伝説的なブランドであり、コンマ1秒のスピードを競って毎年、全く新しいエンジンと車体を開発しているという。エンジンのパフォーマンスを極大化しつつ、車のスピードを最大化するためには、最大出力のエンジンを最軽量で造らなければならない。そこに我が社が開発した新素材技術を売り込むというのが我々訪問の目的であった。
彼らの話しによるとすでに我々の提供した素材は実証試験をクリアーしており、実際のレース用エンジンに使ってみるといことで、非常に面白い展開になってきているということがわかった。
2時間ほどの和やかなミーティングが終わると、相手をしてくれた同社のエンジニアから、生産ラインの見学をしませんか?と誘いがあった。聞くところによると、既に来年3月から始まるF-1新シーズン向けのレースカーの製作が始まっているという。またとないチャンスを逃す手はないと、是非にとお願いして工場のツアーをしてもらった。もっとも実際中に案内されてみると、そこは所謂自動車の組立ラインとは似ても似つかないものだった。
塵一つない明るいスポーツジムの様な天井の高い大きな部屋の中には5つの組立ステーションが配置されており、F社のロゴのついた作業ジャケットを着た作業員達が、7ー8人一組のチームになってそれぞれのステーションでレースカーを組み立てている。まだフレームの上にエンジンを乗せたばかりのマシンもあれば、ボディを載せて、ほとんど完成に近いマシンまで、作業員達はまるで手術室で執刀する医者のチームのように配線を繋いだり、データをチェックしたり忙しく作業をしていた。
次に案内された科学実験室のような部屋では、やはりいくつかのステーションに別れて、エンジンの組立が行われていた。すべては完全な手作業である。そこで働く人達は皆、まるでプラモデル造りに熱中する子供のように、楽しそうに作業していた。それはそうだろう。機械の好きな男達にとって、採算度外視で最も早く、最も美しいレースカーをつくるためだけにある職場など、夢の世界そのものなのだから。それにしてもシーズン前のF-1レースカー工場に入れてもらった日本人なんて、いったい何人いるのだろう。「ここは完全な秘密工場ですよ。」というエンジニア氏の言葉の裏には、我々に対する期待の大きさがにじんでいた。