新イタリア紀行
手塚 代表取締役名誉相談役
2000.4.1
さて、市内散策である。M博士は過去にもミラノに何回か出張しているのであるが、スケジュールが立て込んでいて全く市内を見ていないという。せめて有名なドゥオモとガレリアくらい見ておきましょうといって、市の中心に歩いていった。途中フェラガモのブティックで家内に頼まれた新作のスカーフを買ったのだが、店の中にいた客の大半は日本人。あやしげなオヤジが2人でガイドを伴って買い物しているのだが、話を聞くともなく聴いていると、「40過ぎの女性にこのバックは似合うかね?」などと、だれにプレゼントするのか知らないがフェラガモのバックや靴などの箱を次々に積み上げていく。「これでぜんぶでなんぼや?」「そうですね。40万円くらいです。」「じゃ、このくらいにしておくか。」・・いったい日本のどこが不況なのだろう?
さて買い物を終えてビットリオ・エマニュエル2世のガレリアを通り抜けて、ミラノの中心、ドゥオモ(大聖堂)に至る。日がくれて辺りが暗くなっても明るい広場に面し、ライトアップに照らされたこの壮麗なゴシック建築は、幻想的にそびえていた。
中に入ると、たまたまミサが終わったところらしく、荘重なパイプオルガンの調べが流れていた。石作りの建造物の広大な空間の中で、パイプオルガンの純正調の和音が、ペダルの空気圧ともいうべき超低音に支えられて響き渡る様は、荘厳な神の調和の世界を体現する。オルガンの和声は自然倍音列の5度、3度の音階がもたらす共振現象を伴った圧倒的なハーモニーを響かせ、それは幾何学に基づく超自然的な教会の空間の中で長大な残響の尾を引いていく。
人間の合理性をもっていかにして神の調和の世界を再現するか、これが中世キリスト教が追及したものである。中世の世界において、今日のような電子的に拡大された音響世界を体験したことのない人々が、この全身を包むような響きに接して、ひれ伏したくなるような衝動にかられて神=教会に帰依したのは、当然のことであったとあらためて実感する。
ドゥオモから一歩外へでると、広場の正面の中世の建物の屋根の上には東芝、ヤシカ、NECといった日本企業のネオンサインが安っぽく輝いている。以前昼間に訪れた時には感じなかったのだが、こうして日が暮れてから訪れてみて初めて気がついた。教会の中の荘重な雰囲気とにあまりのコントラストに、これは一種の犯罪行為ではないかとさえ感じてしまう。こうした企業の経営者がミラノのシンボルであるドゥオモを訪れて一歩外に出たとき、赤々と点滅する自社の広告を見て、果たして誇りに思うものだろうか?一瞬、自分が日本人であることを恥ずかしく感じてしまい、早々に広場を立ち去った。
さて中央広場から歩いて4、5分のところに、次に筆者の目指すミラノの高級食材店「ペック」があった。日本でも高島屋百貨店に高級デリカテッセンとして出店している。ここで筆者は地下のワインセラーでイタリアの銘酒、バローロとアマロネを購入。また1階のデリでは巨大なパルメジャーノチーズを切り分けてもらい(乾かないようにまわりをオリーブオイルでコーティングしてフォイルにくるんでくれる)、イタリアでクリスマスシーズンに食べる甘く香ばしい大きなパン「パネトーネ」を買った。これでイタリアに来たかいがあったというものである。
巨大な袋をかかえる筆者にあきれるM博士と、そこから歩いて1分のところに隣接する「ペック」直営のリストランテに入り、イタリア出張最後の晩餐となった。ちなみにこの「ペック」もミシュランのガイドブックで一つ星にランクされている。
今宵はキャンティ・クラシコを飲みながら筆者はオクトパスのペンネとミラノ名物オーソブッコを食する。ここのオーソブッコはミラノ風のサフランを使ったリゾットが添えられておらず、肝心の骨付き子牛肉の煮込みそのものもびっくりするほどの美味ではなかった。一方、蛸のペンネはやはり米国ではまずおめにかかることのできない本場のパスタという感じの逸物であった。
もっともこの店は有名なせいか、途中日本人の団体が入ってきたり、ウェイターたちのサービスもやや観光客ずれしたきらいがあり、あまりお勧めできるものではなく、前日のFiniの完璧なサービスとは程遠い感じがした。ミシュランの星に値するかどうか、正直言ってやや疑問である。コストパフォーマンスから言っても、一昨晩のCavalliniの方が、星こそないものの数段お勧めである。
かくしてたった3晩ではあったが、今回のイタリア訪問は無事終了した。翌11月1日の朝は、このままパリに向かうM博士と別れ、ホテルからタクシーで30分ほどのマルペンサ空港に向かい、ほぼ満席のユナイテッド航空ワシントンDCダラス国際空港直行便で帰路についた。短いながらもあらためてイタリアという国の魅力を感じる事ができたと、ユナイテッドにしてはめずらしいイタリアワインを飲みながらうとうとしていると、機内上映の映画「バットマン・アンド・ロビン」が始まった。これで一気にアメリカ大衆物質文化の世界に引き戻される中、飛行機は一路ワシントンに向かっていった。