取材で聞いたことは無条件で書いて良い
運営者 これはもう、とてもやってられないと思ったんです。
私は物書きをやっていますが、「ジャーナリズムが人にものを伝えることにはどういう意味があるのか」「ジャーナリズムは社会的にどのような機能を担っているのか」について、あまりにも文化的な認識がなさすぎる!
世の中の人は、「取材をする時は取材相手に金を払っているんだろう」とか、「取材をした後で原稿を相手に見せてチェックさせてるんだろう」と思っている人が少なくないらしい。これは全くたいへんな誤解でして、原則として取材相手にお金を払っちゃいけないし、原稿を見せてもいけないんです。
堅気の衆のくせに、自分が取材対象であるにもかかわらずメディア側から金をもらうということでは、発言にバイアスがかかってしまいますから、そんなものを報道しても意味がない。この辺をすごくみんな誤解してるようですね。
例外としては、雑誌記事を作るときに相手の署名原稿になる場合は、著作権は相手のものになりますし談話謝礼を払うこともあるし、原稿チェックもやってもらいますけどね。あるいは芸能人のように、自分の名前や顔が看板になっている人もギャラを払います。なんらかの事情があって、あらかじめ約束した場合も別です。このサイトについても、今回はネグりましたが、原則的に著作権がインタビュー対象者に発生していると判断していますので、原稿は見てもらっています。
つまりジャーナリストは、自分の記事を読んでくれる人のためだけでなく、世の中すべての人のために働いてるんです。当然ながら、取材対象者のためにやってるわけじゃないので、取材先と癒着することもありえないし、取材先の利益を図ることもありません。利害関係がない立場を貫かなければならないわけです。また、自分が利害関係をもった対象は取材先としてはなりませんし、もし取材する場合は自分が利害関係者であることを明確にしなければなりません。
だから私は、自分が今後仕事として関わりができそうなところには近づかないようにしています。
素人が本を書く時はその辺が甘くて、平気で自分の会社に利益誘導する本を書いていたりします。本も雑誌も、そのへんの境界は曖昧で、読んでみなければ宣伝かそうでないのかわからない本が書店に混在しているというのが現状です。これじゃ、本を読まなくなる人が増えるはずですよ。素人の書くものならそれでいいかも知れませんが(ほんとはまずいと思いますが)、すくなくとも私はプロですから、そんな読者に対する裏切りをやるつもりはありません。
とはいえ、あまりに世の中の誤解がひどくて取材先も勘違いしているところがあるようなので、私は今回の取材では、取材申込状に以下のような文言を入れました。
場所はどちらにでも伺わせていただきます。もし取り上げさせていただく場合には、取材先として、所属組織名ならびに個人名を文中に明記させていただきます。中立的な観点を維持するため、原稿の事前校閲ならびに、取材謝礼等をお支払い申し上げることはできません。ご了承いただけますれば幸いです。オフレコ情報については、その場でご指摘いただければ書きません。
これに「OK」した人しか、私の本のインタビューには出てこないわけです。本来はこんなことは言う必要もないことなのに、まったくばかばかしいことですよ。
神保 だけどさ、本当はその最後の「オフレコ情報については、その場でご指摘いただければ書きません」というのは、まずいよ。取材は無条件でなければならない。
運営者 それを言われると耳が痛い。これは、私にできる限りの、もう最大限の妥協です。広報担当者が同席していて、「今のはちょっと……」という話については手加減するという意味です。
本当は、取材で聞いたことは無条件で書いて良いわけです。しかし、それじゃあ慣れていない人は一言もしゃべれなくなってしまいます。だから私としては泣く泣くこの文言を入れた次第です。