あの5年があったから今の自分がある
運営者 資質って、どうですかね。
神保 自分には人並み外れた洞察力や認識力があるとは僕は思っていません。すべて淡々と、毎日こつこつ調べて取材してやっていることです。それを続けていくことで、そのうち「どうすればいいか」というコツが見えてくる。
若い記者には、「毎日取材を続けていくと、1日1日電話帳の薄い1ページのように成長する。だから毎日の違いはわからないけれど、5年くらいやると厚くなってくるし、1ページが薄ければ薄いほどそれは束ねたときに頑丈なんだ」と言っています。それを淡々とコツコツとやるということは僕はできますね。
ネタを見つけるのも、情報を方々からなんだかんだといって引き出しているし、それを自分の中でひねり回しているから何かの拍子でネタが見えるわけです。何もしなくて閃くということはないわけです。結果的な閃きということなんでしょうね。僕はコツコツやっていくのが楽しいと思っています。
僕が学校を出てAPに入った最初の5年間は、毎日考える余裕もなく泡を食って取材してましたよ。それくらいやらないとAPの基準に乗る記事はつくることができなかった。徹夜もしたし、夜討ち朝駆けもしました。
スター記者の実力に目を見張るよりも、前の年に入社した自分よりも1つか2つしか年が違わない二軍の補欠の記者が、取材してきて、パッと記事を書いてしまうのを見て、目を丸くしてしまった。「僕も、あんなふうになれるのかな、この先、彼との差は広がる一方なのではないか……」、そういう人がアメリカのジャーナリズムの中では小物中の小物でしかないわけです。こんなに自分が小さく見えた瞬間はなかったですよ(笑)。
そして、年がたってくるほどレベルがどんどん上がってきて、昨日の自分が小さく見えてくる瞬間があるわけです。自分では「そこそこのところまで来た」と思っても、それは昨日よりも上に上がっているだけであって、また明日になったら今日の自分は当然小さく見えるわけです。周りとの関係と、自分の成長という2つの軸で考えるのですが、なかなか自分が成長している感覚がつかめませんから、「ああ、ダメだな」というふうに思って、ますます自分が小さく見えましたね。
通信社というのは、事件発生の30分後が締め切りですからね。新聞みたいに締め切りが12時半じゃないんですよ。UPIに抜かれるわけにもいかないし、速ければいいというわけでもなし。それは血眼でしたよ。そういう時期がありましたねえ。しかしその5年間があって、逆に幸運だったと僕は思う。明らかにあの5年があったから今の自分があると確信できます。「それを我慢しないと、いいジャーナリストにはなれない」と、うちの会社の若い人にも言っているわけです。基礎的な投げる力、打つ力、走る力を身につけないとね。話はそれからですよ。
(この項終わり)