田中 異論がある人もいるかもしれませんが、ある意味、私はそう思いますね。
例えば事務所ビルの場合、エレベーターなどがまとまっているコアの部分から窓までの距離を奥行きといいますが、日本ではだいたい14メートルから20メートルくらいになっていて、これはアメリカとおんなじです。
だけどドイツではだいたい8メートルくらいです。どうしてかというと、奥行きが深いと照明が必要になりますし、自然換気もできなくなりますから環境配慮のために奥行きが浅いということもあるのですが、ヨーロッパの事務所は個室文化があるのでそうなっているということがあります。
建築は社会的な環境の影響を非常に受けるわけです。その意味で日本の建築は、アメリカ型の社会環境の影響を強く受けていると思います。
運営者 それは非常に面白い認識ですねえ。
それで、そういったさまざまな与条件を解決できたとして、今度は立体的な構造物を構想して設計しなければならないわけですけれど、それは何をとっかかりにして考えるんですか?
田中 それは、まず基本パターンがある程度決まっているわけです。一種の「型」があると言っていいでしょう。
運営者 つまり、テンプレート的なものがあるということですね。
田中 まあ一種の。そしてそこから外れると途端に難しくなってきます。 例えば事務所ビルであれば、コア部分を一カ所にまとめるというのは、型として決まっています。エレベーターを四隅に持っていってしまうと使いづらくなってしまいます。だから、これまでの経験によってある程度型が決まってくるわけです。
運営者 あるひとつの形に収斂していくのは、当然だと思います。
田中 でも住宅であれば、型に無理にはめなくてもいいかもしれません。自分の好きなように設計していいわけですから。
運営者 施主がそれでいいと言えば、建築家は何でもできますよね。
田中 だから住宅では型をかんたんに破ることができるのですが、集合住宅や事務所ビルでは型がどうしても破りにくくなるということがあります。というのは施主は巨額の投資をするわけですから、投資を回収するためには型に収斂した建築物にしなければ難しくなるからです。
運営者 それは型がよくできているという証拠ですよ。
田中 もっと言うならば、建築物というのは昔は王様のものであったからそんな型を気にする必要はなかったんです。お金は自由に使えるし、資本投下に対するリターンを考える必要がなかったわけですから。
今の建築物はそれとは逆で金融商品と似たような性格を持ってしまっていますから、施主もこれまでに形作られてきた建築物の型を意識せざるをえなくなっています。型を踏襲しないと求められている効率性やレンタブル比が実現しないわけですから。事務所なんかでは貸し出しすることができるスペースが70%-80%確保できなければ、ビルが成立しないんです。
効率性の悪いビルを建てても損をするわけですから、投資できません。そういう理由もあって現代の建築では、施主も建築家も、型的なものに飛びつく傾向があります。それはクリエイティビティの点から見て果たしてどうなのかという疑問は残りますが。