運営者 ところで、さっき話に出した空港と公共ホールというのは、われわれが外国に行った時に一番目につくものなんですよ。
空港に着いた時点で、その国の文化がある程度分かります。例えばギリシャのアテネの空港に着くと、「ああ、この国はデザインのセンスがない中進国なんだな」と体感できます。
田中 ですから空港などには、国のトップがどのように国家の威信を示したいかがよく表れます。例えばマレーシアとか。
運営者 公共ホールもそうですよね。ステージパフォーマンスが好きな友達なんかは、「NHKホールは天井が低いから嫌いだ」とか、「赤いじゅうたんが嫌いだ」とか、いろいろ文句を言っています(笑)。
みんなそのへんはものすごくうるさいわけです。ここから先は建築家に突きつけられる、レベルの高い話になるかもしれないのですが・・・
田中 そうですね、今までお話ししてきたのは建築を建築として成立させるための、最低限の話なんです。そこから建築の質の良さとか空間性のお話しの間にはジャンプがあります。
運営者 そこで、われわれ素人が建築について評価する目線があるかどうかというと、これまでそんなこと、学校で習ったかなと思うんです。どうなってましたっけ?
田中 建築をしっかり教えるのは大学生からで、しかも一般教養の授業ではありません。
だから日本で建築を教えているのは、専門の教育機関だけです。そしてそれまで学生には、建築の空間体験がほとんどありません。体験がなくただ無理繰りに「この建築ばいいんだよ」と教えられるわけです。だけどそんなことを言われても実際にはわからないんです。
運営者 そうでしょうね。行かないとわかんない。
田中 ただその時点では行っても分かんないんですよ。つまり本当は違う観点で見ないといけないのに、勘違いして建築物を見ているケースが少なくなりません。
運営者 なるほどね(笑)。
田中 ですから建築学科でどのような教え方をするかも問題なんです。ピアノだと、基本的にマンツーマン形式で教えるじゃないですか。建築の場合は、本来マンツーマンや少人数のゼミ形式に加えて実際に建築物を見にいってどこをどうみればよいのかということをきちんと教える授業じゃないと難しいのではないかと思います。
運営者 そうですね。そのレベルが分からなければ、建築物を楽しむことはできないでしょう。
田中 「この空間がいいんだよ」とか「このデザインがいいんだよ」というときに、生徒が自分自身で考えて先生や先輩に聞いて、やり取りをしながら自分なりの解釈をして、「このデザインがいいんだな」と納得するわけで、それも一種の型になります。その型に基づいて、建築家は自分の実力を発揮していくことになるわけです。