運営者 そう考えると、学生が建築を学ぶのは、他のものを学ぶより難しそうですね。
田中 かもしれません。私の場合は「難しい」と思いました。
今でもまだ学んでいます。でもそれは施主や社会に対しては失礼な発言かもしれませんよね。「じゃあお前が10年前に作ったものは何なんだ」といわれてしまっては困りますから。そこはまあ深い話なんです(笑)。
運営者 こういうことですよ、いい建築というのは施主の意向もあるでしょうが、実際に利用した人が「ああ、ここは心地よい空間だな」とか、「また来てみたいな」とか、「何か深いものを感じさせるな」とか感じればそれはいい建築なんですけど、人の心に訴えかける表現物がそんなに簡単にできるはずがないですよ(笑)。
田中 そうですね、ここにある陶芸もそうかもしれませんが、アートの場合は60歳、70歳になってからも、ますますよいものを作ることができるようになります。だけど若いときに作ったものがおかしなものなのかというと、決してそんなことはないんです。
ただアートと建築の違いは、アートはなんだかんだ言っても安いんです。建築物は安くても数千万円。高いと数千億円するのですから、「まだ自分は未熟だ」とは到底、言いにくいことなのですが、それは常に心の中で自分に言い聞かせながら仕事をしています。
もっと面白いのは、仮に私が60歳になってある程度の仕事ができるようになったとしても、修正の頭の中身はだれにも譲ることはできないんです。若い建築家は、また一からスタートしなければなりません。
運営者 そういう仕事は他にもあるのでは。
田中 ただ、社会システムとして、例えば鉄道技術などは集団で作っているところがあって、グループの中から誰かが抜けてもできるわけですが、建築家の場合はその人が抜けてしまうとできなくなってしまうんです。
ゼネコンの場合は集団で設計している部分がありますが、例えばビルバオ・グッゲンハイム美術館を作ったフランク・O・ゲーリーなんていう建築家は、余人に代えがたいものがあります。この人の頭の中はだれにも譲れません。だから、建築家がなくなってしまうとそれで終わってちゃんです。
運営者 仕方ないですよ、ミケランジェロもそうだったんだから。
では、見る人に訴えかける建築のデザインはどう作られるのかについて伺いたいのですが、それは実用性の美というものもあると思うんですけれど、田中さんが実際に設計をするときに、デザインについてはどこから考え始めるんですか?
田中 オフィスビルの場合は、先程も申し上げたように多少は型のようなものがあります。経済的な観点と機能的な観点をミックスしたところから考えています。
運営者 例えば地積がこうなっていて、容積率が800%までとなっていたら、できることは決まってくるわけじゃないですか。その中でどう考えるんですか。