田中 それでモダニズムというのは、昔の大建築物であればボールト構造で巨大な空間をつくっていたのですが、モダニズムはそういう空間を解体していった。それから市民が主役になれるような空間をつくっていったという特徴があると思います。
運営者 なるほどねえ、フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂というのは何のために作られたかというと、当時のフィレンツェ市民3万人全員を収容できるようにするためにギルドが作ったものなんです。だから巨大なドームになってしまって、ドームがかけられないのでアイデア出しのコンペをやって、そこにブルネレスキが出てきて、ルネサンス建築が始まるんです。
たぶんモダニズム以前の建築は「広場と同じようなでっかいものを作る」という発想だったんでしょうね。
田中 中世以降の建築はキリスト教を基本にして、広さをまず確保するようにしていると思いますよ。それから王権の建築が出てきて、支配という観点から建築物を作っていった。
だけどフランスなんかだと、革命が起きて市民が主役になったからといって、市民が主役の建築物ばかりができたわけではなくて大建築物も作られてますね。
運営者 凱旋門を作った連中ですからね。
田中 だけど、そういう観点ではなくて、例えば昔の労働者の住宅というのは窓がなくて劣悪な環境でした。それを改善するために、窓から太陽がさんさんと降り注ぐようなイメージの住宅をつくって環境を改善していくような動きが出てきました。
運営者 共産主義や国家社会主義のみなさんは、労働者の生活の向上をアピールするために、近代的で巨大な労働者住宅をたくさん作っていましたね。今でもドイツやオーストリアで見ることができます。リューゲン島のプローラとか。
モダニズムはそういう風潮にも乗っかって広がっていくことができたんですね。
田中 建築の志向とか感性は移行していくものなんです。
神から王権に移って、次に市民に移っていったのであれば、これからは何を表象することになるのでしょうか。
運営者 ポストモダニズムは、市民の次に何を表象するのか。
田中 表象するものがなくなったのかもしれません。
運営者 そうですねぇ。
田中 建築の世界では、もうポストモダニズムということは言っていなくて、モダニズムが一時期停滞して、その対流としてポストモダニズムがあったのですが、それはそこで止まってしまったと思います。出口がなかったんだと言われています。
運営者 80年代前半に磯崎新がつくばセンターを作って、「廃虚がどうのこうの」などと言ってたじゃないですか。当時はニューアカデミズムの時代で、建築も同じように語られていたと思うんですが、建築は停滞しちゃったんですね。
田中 ジャック・デリダなどの思想家が建築についていろいろ言っていたころです。