田中 ポストモダニズムはそれ以外に、ピラミッドやギリシャのモチーフとか、歴史的な引用をしていたのですが、それはデザインの潮流としては現在ではもう終わったようになっています。しかしその時期でもそれ以前のモダニズムの延長形はずっとあったし、マリエッティの未来派とか、ウラジーミル・タトリンのロシア構成主義とか影響もあった複雑な時期です。
運営者 ソ連なんて、スターリン建築しかないのかと思っていました。
田中 そう思うでしょ。これは本当に面白くて、スターリンが台頭する前は、ソ連の建築は全く違う方向だったんです。ロシア・アヴァンギャルドだったわけですが、スターリンが台頭するに従って古典建築、象徴建築になって行ってしまったわけです。
運営者 そうですね、音楽と同じだな。まさに闘争史ですねえ。
田中 その中で、資本主義とうまく結びついたのが、ミース・ファン・デル・ローエの建築だと思います。モダニズムと資本主義はうまく合体したわけです。モダニズムはファンクショナリズムで、機能を非常に重視していました。表象していくという意味でもそうなのですが。
資本主義が本格的に台頭していく中でモダニズムは定着しました。これに対抗する動きはあります。例えば「歴史的な建築を破壊するのはよくない」という考え方は世界的にありますから。
運営者 そうそう、日本でも前にそこに建っていた古い建築が、高層ビルの腰巻きになって、へばりついている新しいビルがたくさんありますね。一番早かったのは大手町の野村ビルとか。銀行協会とか。あれはあれでどうかと思いますが。
田中 あれは、あれによってまた容積率をアップしてもらえるんですね。
運営者 それはまったく理解することができないんですが、いったい何のためなのでしょうか?
田中 特区制度として、普通に総合設計で公開空地を作って容積率をアップしたうえで、さらに歴史的な建築物を保存復元することで、本来であれば1000パーセントのものを1300%に引き上げてもらえたりします。
運営者 そうだったのか それを聞いて思い出したのですが、三菱商事の新しいビルの下に三菱1号館が復元されていますね。三菱商事ビルが超高層ビルになったのは、1号館を復元したからなのでしょう。
だけどあれができる前に、三菱地所の福澤会長(この人は福田諭吉のひ孫です)にインタビューしに行って、「1号館はどこに復元するんですか」と尋ねたけど教えてくれなかったんです。だけど、その時には決まってたということじゃないか!