運営者 なぜ、そういう人生の試練の時に、精神的な危機が来るのでしょうか?
会社をクビになったり、父親が死んだりしたときに、バリバリ働いていた人も気持ちが折れてしまったりしますよね。なぜそうなるのでしょうか?
小西 基本的に人は誰でも暗黙のうちに、「人生はこういうものだ」とか、「これはこういうものだ」といった固定的な物事の見方を持っています。私はそれを「ビリーフ」(価値観とか信念)と呼んでいるのですが、人はそういうビリーフをたくさん持っていて、それを基盤として生活しているわけです。しかしそういう人生の試練では、そうした前提条件が崩れてしまうんです。
例えば尊敬している父親を亡くしたりすると、「父親はずっと生きているものだ」とか、「人間というのは死なないものだ」といったビリーフが崩れてしまうわけです。もちろん誰でも「人間は死ぬものだ」ということは頭ではわかっているのですが、実際に父親の死を経験すると、それがリアルなものとして迫ってくるわけです。それが人生観を変えるきっかけになったりする。ただし、そういう試練を経験しても、すべての人が、スピリチュアルクライシスになるわけではありません。
ただビリーフが崩れてしまった場合には、新しい現実でも有効であるようなビリーフが必要となってくるんです。
運営者 だけど、それをやったとしても死んだお父さんは戻ってこないし、自分も復職できるわけでもないですよねえ。
小西 もちろんお父さんは戻ってこないんですけれど、お父さんが生きていたその人にとっての意味合い自体を修正、あるいは再構築することはできます。
例えば「有限の命をどう生きるか」を考え、それについて新たなビリーフを見出していくことによって、また新たな局面を見出していくことができるわけです。
運営者 そうすると別の例として伺うとすれば、がんの終末ケアで、内臓取っちゃって、化学療法をやっています。余命いくばくもありません。家族も集まってきて泣いています。そういう人の場合、どうするんですか?
そもそもみなさん、チャプレンにどのようなことを訴えかけてくるのでしょうか?