運営者 チャプレンは病院や軍事組織以外に、どういうところにいるんですか?
小西 刑務所とか、FBI、企業、学校などにいます。アメリカにいる時に、エール大学でいろんな種類のチャプレンが集まる会議に参加したのですが、そこには大リーグのチャプレンがいましたよ。
運営者 日本の球団にチャプレンはいないわけじゃないですか。大リーグのチャプレンは何をやってるんでしょうか?
小西 彼が言っていたのは、大リーガーになるまでに至るような人は、学業なども犠牲にして、それだけに専念して生きてきている。もし故障して引退することになったら、それはその人の人生としての問題にもなってくるわけです。
ですから、そうした人生の問題に対するカウンセラーとしてのチャプレンの仕事があるわけです。
運営者 わたしの友人が大リーグに行った某日本選手の本を編集したのですが、その選手がアメリカに行って驚いたこととして「大リーガーはメンタルが弱くて、日本の野球選手みたいに精神的にひとりで立っていられないということに驚いた」と言ってたそうなんですよ。
小西 ビリーフには、その国や文化固有の価値体系としてのビリーフがあるわけですが、日本人には「男は黙って、泣いてはならない」とか、「人はこうあらねばならない」といったビリーフに支えられている面が、アメリカ人より強い面があるかもしれませんね。そしてそういうビリーフに支えられているから、日本人はそういうことが起きても立っていられる、ということもあるような気もします。もちろん、それが全てではないと思いますが。
アメリカ人と比べると、日本人のビリーフは、「泣いてはならない」とか、「人に頼らずに一人で何事もやらなければならない」といった部分が強くて、そうした一種の「型」を強く持っているような感じがします。
アメリカに行って帰ってくると、日本人が共有しているビリーフを強く感じますね。
運営者 ビリーフというのは、自己のアイデンティティーで、「自分はどういう存在であるか」とか、「これはこういうものである」といった価値観とか、そういうものなわけですが、日本人の場合はそうした価値観を全員共通のものとして確固たるものとして共有しているように思いますねえ。
小西 集団で共有しているビリーフがありますね。それが「集団主義」ということなのでしょう。
もちろん、アメリカ人もビリーフを持っていますが、どちらかというと個人個人がバラバラで、日本人はビリーフを社会として共有している部分が多いように、特にアメリカから帰ってきた時に感じました。
運営者 非常によくわかります。日本では、「たとえ一人になったとしても、どこかで全体と結び付いている、それで自分は一人じゃないので強く生きていける」という感じがあるのかと思います。
米空母ジョージワシントンで「原子力空母にどうしてそういう、祈りの空間があるんですか」と聞いたら、「アメリカ人はひとりでものを考える時間が必要な連中なんだ」という返事だったのですが、日本人はひとりでものを考えなくても、みんな同じこと考えているから、問題ないんですよ(笑)。
そういう漠然とした認識があります。全然確認したわけでもないのに、「日本人ならみんな同じことを考えているに違いない」と思っている。