運営者 医療でいうと、大学で研究しているだけじゃなくて、それを実際の医療現場で使わないと意味がないということですね。
小西 たしかにそれと似た面はありますね。逆に還相を重視する立場に対する批判としては、本当の意味での慈悲を実践するためには、本当に悟らなければならない、「慈悲」と言いながら、エゴイスティックな動機でやっていることになりかねないというものがあります。両方のバランスがとれた状態が良いのではないのかと個人的には思っているのですが。
悟りを求めることについても、禅は「求めれば、すなわち背く」と言うように、悟りたいと思えば思うほど悟りから離れるということもあるわけです。アメリカで出会った人の中に、悟ることを、まるでスーパーマンになることのように思っている人がいらっしゃいましたが、それはエゴイスティックな動機ではないか(笑)。
運営者 それはそもそも動機から間違っている(笑)。
小西 逆に、本当はどんな人でも、今この場で気づきさえすれば悟りを開けるわけですけれど、それに気づけないのでいろいろ回り道をして苦労しているわけです。
運営者 そうですよね。おもしろいな。
それでチャプレンは、スピリチュアルクライシスの真っ只中にあるがん患者から話を引き出すわけですが、その目的というのは、彼のスピリチュアルクライシスを乗り越えられるようにしてあげることなんですか?
小西 医師や看護師等の医療者の期待のメインはそこにあると思います。患者さんがすごく辛そうにしているので、なんとか楽にしてあげてほしい、ということで「この方をみてください」といって患者さんを紹介される。
そして確かに私がスピリチュアルケアを提供した結果として、実際に患者さんが楽になるということはあります。
運営者 もちろんそうでしょうね。
小西 でも、本当にチャプレンと患者さんが場を共有しておこなっているのは、患者さんを楽にするためというよりも、「その瞬間をどう生きればよいかを見直すプロセスをサポートしている」という感じだと思うんです。
運営者 余命一カ月しかない人が「その先どう生きるか」という感覚は、経験がない人にはなかなか想像しにくいものがあるのですが、どんな感じなんでしょうか?
患者さんとしてはチャプレンの手助けを借りて、どのような認識に、たどりつくものなのでしょうか?
自分のそれまでのビリーフを修正するには、どのようなパターンがあるのでしょうか?