運営者 それでは別の角度からのご質問ですが、人間が臨終の時に、どのような認識や価値観を持っているといちばん本人に魂の平安を得ることができるものなのでしょうか?
それはどういう意識なのでしょうか?そもそも、臨終の時に不安でなければ、それでいいんでしょうかね?
小西 それも人間観次第だと思います。平安を望む人はそれを実現することがとても大切になるでしょうし、「最後まで死と闘いたい」と思われる方もいるでしょうし、どちらもその人がそれを望んでいるのであれば、それはそれで全然問題ないわけです。
私はどういう死に方をすべきというような、いわば「理想的な死」というものを想定すること自体が危険なことだと思います。平安な死を迎えることができない人もたくさんいます。そうするとそれはすべて残念な死に方かというと、それは全然違うと思いますし。
それはその人の人生観、人間観次第です。
運営者 それはチャプレンの世界での考え方ですか?
小西 ある程度共有されている面があると思いますが、人による面もあると思います。昨年の緩和医療学会で、スピリチュアルケアに関するシンポジウムがありました。その時にキリスト教、仏教、神道などの方々がパネリストをされ、私は座長の立場からそれぞれの方に「スピリチュアルケアは一体何を目指すものなのか」という質問を投げかけさせていただいたのですが、仏教の方は「悟り」とおっしゃるし、神道の方は「平安」とおっしゃるし、別の方は「自分の納得のいく生き方を見いだすお手伝いをすること」と答えられた。やはりそこは共有されていないようです。
恐らくアメリカのほうが、ケア対象者のを価値観を尊重しなければならないという考え方が徹底されているので、単純な平安を求めないところがあると思います。
運営者 日本のほうは平安に傾きがちと?
小西 その傾向はあると思いますね。私は、スピリチュアルケアというのは、単純に平安を求めたり、痛みを取ることが目的ではなくて、その人がどう生きるかを見出していくことをサポートすることだと思っています。
そしてスピリチュアルケアは、今は医療の世界で注目されていますが、「いかに生きるか」という問題は別に終末期だけの問題ではなくて、あらゆる場面で必要とされることなので、本当はさまざまな分野で重要なテーマになりうるものだと考えています。
運営者 それが社会的に検討されていないのは、ちょっとまずくないですかという感じがしますね。