運営者 東北大震災直後の2011年3月12日から15日にかけて、東京電力福島第一原発(以下:福島第一原発)の1~4号機が次々に爆発・損壊して、その後日本は非常に大きな変化の波にさらされました。木下さんも私も、それを契機に東京から脱出することになりました。
木下 僕の場合は、岡本さんと違って爆発直後に東京脱出したのではなくて、少し様子を見てからでしたけどね。
電力会社の関係者からの情報だと、最悪の場合は200キロ圏が吹っ飛ぶという話までもありました。これはさすがにどうかなあとは思いました。
しかし、福島第一原発で昔、割と重要な仕事をしていた僕には友人がいます。大手メーカーの関係者ですが「20~30キロ吹っ飛んでもおかしくない」と言っていましたから。こちらは信憑性があり得ると判断しました。
そうなると、東京は確実に高濃度汚染地域になってしまいます。
そして当時は管内閣でしたが、たまたま僕は官邸内に人脈が多かったので、直接話を聞いてみても、政府がこの事象に対応できているという様子がまったく見えなかったんです。
政府が対応できてなくて、僕の友人で過去に福島原発の運営に携わっていた人達の顔が青ざめている様子を見ていると、何が起きてもおかしくないという状況だったわけですが、ジャーナリストという立ち位置では、「それをみんなに伝えることができるかどうか」を第一に考えるわけです。
だけど僕は組織に属しているジャーナリストですから、まず組織にその事実を認識してもらわないといけない。でも、なかなかその認識ができないんですね。
運営者 組織的に思考停止に陥っていたということですか。
木下 誤解しないで欲しいんですけれど、誰か上の人が命令してそうだったということではないんです。
運営者 そういう、陰謀論の好きそうな人たちが好みそうな状況ではなかったということですね。
木下 全くありません。そうではなくて、全く誰も何も決断できないまま、一日一日が過ぎていくという感じだったんです。
大きな危機が目の前に来ているのに、その起きていること自体やリスクの大きさを、圧倒的多数の人が認識することができなかったと思います。
運営者 それで今回はたまたま運良く、絶望的な破局が回避できただけなんですよね。
リーダーの地位にある人でも、ピンチに遭遇したときに思考が全く止まってしまうということは、すごくよくあることなんですよ。危機に対処できる資質を持っている人はごく少ない事はあまり知られていません。
木下 はい。そうすると日本の場合直近でいつ有事が起きたかと考えてみると、国全体に波及してはいませんが、95年のオウム事件は有事に近いと思います。
運営者 そうですね、都心の地下鉄が毒物で完全麻痺したり、警視総監が撃たれたりしてたんですから……
木下 その前はおそらく日米戦争と日本占領までさかのぼるでしょう。その前は黒船来航とか蒙古襲来ぐらいという世界ですよ。
運営者 福島原発の事故というのは、黒船とか蒙古襲来レベルということですか。
木下 でも蒙古襲来は途中で止まったし、黒船来航は押さえ込めている。福島原発事故はいまだに押さえ込めてませんから、そうすると今回の事故は、広島長崎の原爆や日本占領と同じくらいのレベルの話だと僕は思っています。
その後がオウム事件だとすると、僕は28歳だったのですが、幸運なことにメディアの中である種コントロールタワー的な立ち位置にいたんです。その時の経験が僕にはありました。
運営者 僕が木下さんと知り合ったのも、その直後でした。
木下 その後、放射能の絡んだ事故で唯一住民に被害が及びそうだったのが99年の東海村JCO臨界事故でした。この時たまたま僕は、発生2時間後から現地に入ることになって現場キャップを2週間やったんですけど、この時も、自分で考えて、自分で物事を判断してやるしかなかったんです。
運営者 メディアを外から見ている人は、誰かが何かを教えてくれてるんじゃないかと思ってるんですけど、そんな事は全くないんですよね。初めての現場で、全部リスク回避まで自分で考えてやらなければならない。
木下 その時覚えているのは、われわれの車の前をTBSの車が走っていて、JCOの施設のかなり手前のインターで降りたのです。「どうしてかな、まだ遠いのに」と不思議に思いながらそのまま高速を走っていると、高速のすぐ横にJCOの施設があった。TBSのクルーには知恵者がいて、危険を回避したのでしょう。
僕らはその後、「既にある程度被曝した」ということを前提に行動しなければなりませんでした。その時僕が考えたのは、「これは外部被曝だけなら、距離をとり車の中にいれば最小にできる」。
建屋の外で他のテレビ局のスタッフが立ち話しているところも、「ここは危ないからスピードを出して走り抜けろ」なんて指示してましたね。
あと女性記者が雨に濡れて送り込まれてきたことがあって、それを見て僕はすごくその記者を怒鳴ったんです。後になって「すごくあの時はびびった」と言われましたけど。
運営者 当然のことなんだけど、わかんないんでしょうね。
木下 放射性物質の粒子が降り注いでいたら、まずかったのです。特に女性は。その時はほぼ出ていなくて、事なきを得ましたが……