●政策を練り上げるテクニックを磨いてこなかった
あえて申しますと、今までは、日本の政策運営は簡単だったと思います。なぜなら、これまでのような追いかけるべきモデルがあったキャッチアップ型プロセスの中では、いかに効率的に資源投入をするか、その時に生じる若干の摩擦をどのように調整するかが政策だったので、何をするのが一番良いのかというもっとも根本的な問題は、少なくとも考える必要がなかったからです。
ところが今日、日本の経済はフロンティア(世界の最前線)に立ち至ってしまいました。そうなると、自分たちで自分たちが目指すモデルを考えながら意志決定をしていかなければなりません。だから政策決定は以前とは格段に難しくなっています。
しかし本来は、そうした新しいモデルの探求は1970年代にしておくべきことだったのではないでしょうか。70年代の初めに日本は先進工業国の仲間入りをした。1ドル360円のブレトンウッズ体制が崩れたことは、まさにそれを象徴することだったでしょう。ところがその千載一遇のチャンスの時に、オイルショックが起こっりました。そこで「日本はひ弱な花である」という認識が広がり、世間は新しい成熟した経済システムを考えること放棄してしまったのです。その次のチャンスは、第二次オイルショックを乗り切った、80年代の初めにやって来ました。当時、日本はどんどん対外貿易黒字を拡大しており、金融の世界でも結構自由化の議論が行われていて、大蔵省は「1985年は金融改革元年である」と打ち上げていました。ところがそう言っていた矢先に円高不況がやってきて、その時点でやはり日本はシュリンク(萎縮)してしまいました。
その直後、バブルというものすごい反動がやってきて、今度は「日本は何もしなくても世界一なんだ」という錯覚状態に陥ってしまう。日本人のメンタリティーは、実は可哀想なほど揺れてきたというのが本当のところだと思います。そういう中で、「何かを変えなければならない」という国民のマインドセットの問題も、問題意識の整理も、放置されつづけてきたのでしょう。シュリンクするメンタリティーと、いやいややっぱり日本はすごいんだという伝説とが両方混在して今日に至ったわけです。
人々の意識が巧く変換しなかったのは、そのような日本経済の状況を反映しているのかもしれません。