八千代座での玉三郎公演は3年ぶり、私が熊本県の山鹿までやってくるのは4年ぶりのことでした。
いつもは熊本空港でレンタカーをするのですが、今回は都合で福岡空港行きの便をとりました。当日の10時50分福岡着予定で十分余裕があると思っていたのですが、羽田で定刻通りにゲートを離れた飛行機は、滑走路に行く途中でストップ。なんと、機内で蜂が発見されたとのことで、いったんターミナルに引き返し、乗客全員を降ろして、蜂を駆除するという騒ぎになりました。
私は見ていないので未だに半信半疑なのですが、体調2~3㎝の大型の蜂ということで安全策をとったとのこと。飛行機にはずいぶん乗りましたが、こんな体験は初めてです。
結局、1時間遅れで出発。ひやひやしましたが、福岡空港前のレンタカーショップを12時半過ぎに出発、14時の開演には間に合うタイミングで山鹿に着くことができました。
八千代座は、明治43年建築の重要文化財で、江戸時代の芝居小屋の様式を今に伝える伝統的な劇場ですが、一方で屋根組などには洋風のトラス構造を取り入れ、天井には真鍮製のシャンデリアが吊り下げられているなど、いかにも明治・大正の雰囲気も残る建築物です。
昭和30年代には映画館となっていましたが、娯楽の多様化で40年代には閉鎖され、廃屋寸前となっていました。昭和62年に市民の寄付による復興運動が開始され、平成元年に再開場、翌年の平成2年(1990年)から平成23年(2011年)まで、平成の大修理(1996~2001)の期間を除いて毎年、19回にわたって行われていた坂東玉三郎公演は、この芝居小屋復興の歩みと切っても切れない関係にあります。
2012年と2013年は金丸座(香川県)の方に出演していた玉三郎が、今年はまた八千代座に戻ってきました。周辺の駐車場の交通整理の人々を含めて大勢のボランティアが活躍していて、地元の皆さんがこの公演の復活を歓迎する気持ちが肌で感じられる雰囲気がありましたが、「口上」での玉三郎からは、自分の役割は終わったのでこれを最後にしたい、という発言がありました。
今年の演目は、「鉤簾(こす)の戸」、「葵の上」、「鐘ヶ岬」という地唄舞三題。
地唄舞とは、上方舞とも呼ばれ、祇園の芸妓の必修科目として有名な井上流などが代表的なもので、屏風を立てたお座敷で演じる素踊りが基本形。人形浄瑠璃や歌舞伎の要素も加味されていますが、基本は能や御殿舞を源流とする静的でテンポの緩やかな動きが中心の舞踊です。能の舞を評してフェノロサが「動く彫刻」と言ったのが有名ですが、同じように緩やかな動きの中に美しいポーズが連続して現れるのを楽しむ芸能といってよいでしょう(有名な上村松園の「序の舞」は、まさにそうした地唄舞の一瞬の美しさを切り取った名作です)。
歌舞伎舞踊とは少し違うこの地唄舞を、玉三郎はしばしばとりあげ、舞台で上演してきました。地唄と三味線を中心とした最小限の伴奏陣と簡素な舞台装置で済むという興行面での都合のよさもあるのでしょうが、何よりも女の美しさと情感の機微を最高の形で表現するパフォーミングアーティストとしての玉三郎の真価を発揮できる芸術形式なのだと思います。
「鉤簾の戸」は祇園の芸妓の作詞なるといわれる「艶もの」の代表作。恋のやるせなさをちょっと物憂く、まさに艶めいて描く短めの作品で、大人の恋する女の美しさ、なまめかしさがにおい立つような舞台でした。
「葵の上」は能の同名の演目を踏襲したもので、能の演出と同様に葵上は舞台上に横たえられた一枚の小袖で象徴され、主役はその葵上に嫉妬と恨みを抱く六条御息所、というお馴染みの源氏物語の世界です。能装束の唐織のような上着に下ろし髪の姿で、貴人女性の生霊の姿を描きます。
能の場合は、前シテが泥眼、後シテが般若という女の嫉妬と激しい恨みを象徴する面をつけて演じられるところを、上品な上方舞の形式の中であくまでも象徴的に表現しなければならないところにこの演目の難しさがあると思うのですが、玉三郎はなんなくそれを成し遂げているように見えました。表情を動かすことなく、ゆるやかで流れるように舞う美しい動作の背後に、光る君への恋と恨み、葵に対する嫉妬と怒り、さらにはそうした浅ましさに茫然とする悔恨などの情念の移り変わりが見えるような気がしたものです。特に、葵上を打つしぐさをする場面のめらめらと燃え立つような激しさ、最後は鬼の象徴である鉄杖まで登場しましたが、そうした小道具がなくても十分に表現されていたように思います。
「鐘ヶ岬」はいわゆる道成寺もの。舞台に鐘も登場しますが、能や歌舞伎のように最後に蛇体に変身するということはありません。
長唄は地唄から発生したといわれていますが、この曲は逆に「京鹿子娘道成寺」の中の長唄の名曲から派生したものなのだそうで、女の激しい妄執を表現するというよりも、移り気で不実な男への恨み節から始まり、後半は廓づくしの浮かれ唄のようになっていく展開で、白拍子花子の舞の座興性を強調した作りになっています。そうはいっても鐘を見上げる眼差しには執念が宿っているかのようであり、遊女の駆引き、手管との虚実の薄い皮の妖しい美しさのようなものが表現されている舞台であったと思います。
今回、抽選でやっと当たったわれわれ夫婦の席は、平土間の一番前、上手側一番端の枡席でした。中央寄りは5人用の枡ですが一番端は2人用の枡になっていて、ござの上に席番号が入った座布団が2枚置かれているのです。
舞台に近すぎ、アングルもありすぎのように思われますが、実際には、本来お座敷用である地唄舞の鑑賞には悪い席ではありませんでした。
もちろん、最近のように和食系の飲食店の座敷や小上がりでも「掘り炬燵式」が多い時代に座布団の上にぺたりと座るのは骨であることは確かなのですが、700席の芝居小屋独特の雰囲気の中で我を忘れて夢見心地になれた2時間であったと思います。