ニューヨークに行ったついでに、METの《ナブッコ》公演を観る機会があったので報告します。
ナブッコ:ジェリコ・ルチッチ
アビガイッレ:マリア・グレギーナ
ザッカリア:カルロ・コロンバーラ
イズマエーレ:ヨンフン・リー
フェネーナ:エリザベス・ビショップ
アンナ:エリカ・シュトラウス
ベルの大司教:ジェレミー・ゲリヨン
アブダッロ:エドゥアルド・ヴァルデス
指揮:パオロ・カリニャーニ
演出:イライジャ・モシンスキー
装置:ジョン・ネピア
衣裳:アンドリーン・ネオフィトゥー
このオペラは、合唱やアンサンブルも素晴らしいのですが、アビガイッレが強力な声で支配してくれたときに最も輝きを放ちます。
声そのものの威力ということでは、現役ソプラノの中でも右に出るものがいないのがグレギーナ。当夜も、その声の迫力を十分に堪能させてくれました。
第2幕冒頭の<ついに見つけた、運命の書よ>では、スローテンポの前半部分でのきめ細かな情感の表現もうまかったと思います。後半の2オクターヴ下降のルーラードは思ったより低音が響きませんでしたが、アジリタの技術も、カラスやスリオティスのようにはいかないにしても、90年代にこの役を得意としたディミトローヴァよりは上です。METがこの作品を上演するのも彼女がいるからということなのでしょう。
とにかく、並外れた声を聴く快感というのがイタリア・オペラの原点であることを実感させてくれます。多少の荒っぽさなど気になりません。この作品はヴェローナで何度も聴いていますが、マクベス夫人と並ぶ強いヒロインの代表であるアビガイッレに必要な凄みを、ナマ演奏でこれだけしっかり味わうことができたのは本当に久しぶりです。
題名役のルチッチも悪くありませんでした。セルビア・モンテネグロ出身のこのバリトンを聴くのは、6月のMET来日公演《ルチア》以来です。
第1幕の登場のシーンでは往年のカップチッリのような存在感を求めるのは無理であったとしても、第4幕のアリア<ユダヤの神よ>における豊かな胸声を使った表現力と演技は第1級のものでした。後半の勇壮なカバレッタも省略せずにきちんと歌いとおし、最後のAsの音を1オクターヴ上で朗々と引っ張ったのも立派です。
3人の主役の中でやや精彩を欠いたのがザッカリアを歌ったコロンバーラです。老け役ですが、音楽的にはいきのいい若手が歌う方が合う役柄で、合唱を従えて奮い立たせるところでのパワーが不足しています。
また高音に安定を欠くところがあり、第1幕冒頭の合唱を相手にしたカヴァティーナアリアでは、バスのとっては高音とはいえEの音を張るところで既に音がかすれ気味になり、最後のFにいたっては叫ぶようしてごまかしているのも気になりました。
このオペラにおけるテノールはあまり重い役ではないのですが、カーテンコールでグレギーナに次ぐ大きな拍手喝采をもらったのが、イズマエーレを歌ったヨンフン・リーです。この人も6月のMET来日公演《ドン・カルロ》で初めて聴いて、素晴らしいスピントの声を持っていたので楽しみにしていました。期待に違わず、というか、広いMETでもビンビン響く声の力強さはこの役にはもったいないくらいの存在感でした。
ただし、演技の方は、見ていて恥ずかしくなるくらい大げさで古風な演技で、相手役のビショップの自然で細かな演技とまったく合いません。アジア系にありがちなのですが、西洋人のしぐさを模倣しようとするあまりにオーバーアクションとなってしまっているように感じます。
フェネーナ役のビショップも準主役といった位置づけの役のわりには存在感のある歌唱だったと思います。
指揮者のカリニャーニは、スキンヘッドですが、わたせせいぞうの漫画に出てくる人物のようなやさしい顔をした青年で、ミラノ出身らしく都会的で洗練された雰囲気。音楽作りにもそうしたイメージがあり、とても巧みにテンポをルバートさせてオケや合唱を歌わせるのがうまいのですが、私の好みからいうと優美すぎて、この作品が持つ剛直で男性的なところが足りないように感じました。
見せ場の合唱、第3幕の<ゆけ、わが思いよ、黄金の翼にのって>でもテンポの揺らし方やフレージングの様式感は良いのですが、前半はもっと弱声からはいって後半に盛り上がるダイナミズムをきかせるといった「あざとさ」がないので、少し物足りなく感じてしまうのです。とはいえ、これは好みの問題なので、バレンボイムやガッティを重用する最近のミラノの聴衆には受ける方向であるのかもしれません。
METでのモシンスキー演出は《スペードの女王》や《サムソンとデリラ》のようなすぐれたプロダクションを観ていたので今回も期待していたのですが、ネピアと組んだこのプロダクションは、舞台機構を駆使したMETらしい豪華で派手なものではあるものの、あまり才気を感じさせるものではありませんでした。
第1幕のエルサレムの神殿はともかくとして、第2幕の巨大な牛頭の神像を中心にして本物の火を使った松明が登場するバビロンのシーンは悪くないのですが、1988年のスカラ来日公演《ナブッコ》で観たシモーネ演出、カロージ装置による舞台の美しさが印象に残りすぎているということもあるかもしれません。
そして、なにより歌手を足場が不安定そうな高い位置で歌わせたり登り降りさせるのが見る者に不安感を与えるところが問題でした。エルサレムのエホバの神殿とバビロンのベルの神殿を背中合わせに構築して回り舞台で転換するようにしているので、どうしても奥行きが狭くなり、上下の動きをとりいれたくなるのだと思います。
昨シーズンのアウディ演出の《アッティラ》もそうでしたが、舞台空間の奥行きを狭くして上下(タテ)に使うやり方は、声の響きの面でも不利だし、METであまり成功するやり方とは思えません。
METの場合はむしろ深い奥行きをうまく使うべきなのです。《スペードの女王》がそうでしたし、最近ではミンゲッラ演出の《蝶々夫人》がやはり奥行きを活かした舞台作りで成功していた、と思います。