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 余は如何にして編集者となりし乎 1988年 23歳


  行動記録の大半が失われていてよくわからないが(あまりに無意味な仕事ばかりなので、あえて書き残さなかったと記憶している)、この年も前年とほとんど状況は変わらない。変わったことと言えば、仕事量が大幅に増えたことである。

 1月から3月にかけては、堺屋太一の『油断』のような経済パニック小説ができないものかと思って社外に出てうろうろしていた。若さに任せての行動である。当時は円高不況が収束し、バブル経済が勃興しつつある時期だったが、前年のブラックマンデーを受けて不安心理が漂っていた。そこで役所や銀行にいる何人かの経済学者でチームを作って予測をやり、それに基づいて小説に仕立てる『油断』の二番煎じを考えたのだが、いかんせん私自身に編集の力量が無さ過ぎた。程度の判断が全くできないのにシステムを組んでもハンドリングできるはずがない。

 こうした行動は私独自のものであって、決してプレジデント社の社内文化に依拠するものではない。私は当時出版部長だった、後に社長になるM取締役に意見を求めて訊ねたことがある。
 「なぜ出版部は自分で動いて本のネタを作ろうとしないのか?」。
 返答は「そんなことは絶対にしない。向こうから原稿が来るのをじっと待っているだけだ」。
 私は「提灯アンコウみたいですね」と言ったのを憶えている。出版人の姿勢がそれでいいはずはないと確信していた。

 基本的には隔月刊の「カレント21」が仕事のベースであったが、1~3月には新たな仕事が加わった。
 東京郵政局の「首都の郵政」、某都銀の新入社員募集用パンフレットだ。まったく面白くもない手間仕事である。しかし仕事が輻輳してきて期末は繁忙を極めた。

 3月末に納本した「カレント21」で誤植を出し、全部数刷り直したために180万円の損失が出た。韓国のノ・テウ大統領の記事で「ポトン・サラム=普通の人」というのを「ポトン・サムラ」とやってしまったのだ。これは「普通のサムライ」なのでしゃれにならない。なぜこんなことになったのか。なんとこの仕事では、専門校正を入れていなかったのである。私が校正して終わりである。これについては、校正費をけちっていたT取締役に非があると思っている。むしろ、よくもまあたいへんな量の校正まで黙って耐えてやっていたなあと自分の忍耐力に感心するくらいだ。
 この後、校正者を必ず入れるようになったが、誤植は受託出版に付き物のリスクであり、この後も何度も泣かされることになった。しかし、固有名詞の確認を何度もやる癖がついたために、P編に移ってからは私は一度として訂正記事を出したことはない。これは私の誇りとすることである。

 さらに4月からは某建築建材メーカーの会社案内を全面改訂するという仕事も入ってきた。これは一応、一部上場であることだけが社員の誇りであるという、誠に地味な会社だった。戦後すぐ釘の製造から出発し、現在ではコーキング剤とベンチレーターのトップメーカーだとか。華のない会社である。社内もどことなしか暗い。6月中に撮影、取材して秋に納本した。

 秋になると今度は、去年作った某マンションメーカーの海江田万里の相続税本の第2弾を作りたいというので、今度はデザイン部分の仕事も取り上げてこちらでやるならという条件で受けた。納本は89年春だったが、プレジデント社は某代理店に1800万請求し、某代理店はマンションメーカーに2500万請求するという鬼のような仕事だった。
 忙しがっているうちに最初の納本が間に合わなくなってしまった。某代理店の営業姐ちゃんには「土曜日の正午まで、会長以下のマンションメーカーの役員が勢揃いして待っている。正午に800部間に合わなければ、金は払えない」と宣告されてしまう。仕方なく私は土曜日の早朝、戸田の製本所に乗り付けて製本を督励し、できたてほやほやの800部を赤帽の荷台に積んで地図を見ながらマンションメーカーの本社に駆けつけるという馬鹿なことまでやった。時代はまさにバブルだった。

 88年度で考えると私は1億円近い請求書に該当する仕事をしたはずである。粗利益率はかなり高い。私のこの年の給料は310万円だった。

 私はむなしかった。けっこう乱暴なことをしていたと思う。だが、志は輝きを失うことはなかった。私は猛烈に働いたが、仕事が増えれば増えるほど読書量も増えた。当時は自宅で酒を飲むことはなかったので、ひたすら読書をした。三島由紀夫を耽読したのもこの頃だ。雑誌は「文藝春秋」を愛読し、休日に舐めるように読んだ。文春は97年まで購読したが、本当に勉強になった。


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