12/22 ミラノ
今日も曇っている。10:30までかかって写真を整理する。ホテルの飯を食べずに、トリノ通りのBARで焼いたサンドウィッチをコークで食べる。
そこからドゥオーモの駅まで歩き、地下鉄に乗ってCAIROLIへ。
SFORZESCO城へ行く。城の前では、イタリア北部の独立を主張する北部連合の党首が演説するらしく、テントがしつらえてあり、大勢の人が旗を振っている。オペラ「ナブッコ」の「飛べ我が思いよ、金色の翼に乗って」が大音響で、エンドレスに流されている。この曲はイタリアの第二の国歌で、まあ「フィンランディア」のようなものだ。この祖国統一を願った歌詞を勝手に独立分離の内容に替えて歌っているのだからひどい。
SFORZESCO城は、ミラノを領していたビスコンティ家が15世紀につくった中世の城郭である。すべて煉瓦づくり。博物館が閉まっているので、城の内外を見て、唯一やっていた近世の聖母子像の変遷を見せる展示を見て城を抜ける。城の後背地は広大なイギリス式庭園なのだが、これを「イギリス式」というとイギリス人が怒ると思うほど放ったらかしで整備されていない。ろくなものではない。この公園を抜けると、凱旋門が建っているが、修理中でみっともない。
ドゥオーモ 13:00、元の地下鉄駅まで戻るのがいやなので、トリムを待つが休日とあってなかなか来ない。やっと来たのに乗り込み、適当に見当をつけて「エィヤッ」と降り、CONCILIAZIONEの地下鉄駅を探すがなかなか見つからない。
道端に立っていると、目の前に救急車が止まったので、、降りてきた救急隊員の青年たちに訊ねると、親切に教えてくれた。とりあえず地下鉄に乗るが、しかしオペラまで多少時間がある。どうするか。ドゥオーモに行こうと考え、いや「最後の晩餐」を見ようと考え直し、うろうろ迷いつつCADORNAの駅に。しかしまず、先に腹ごしらえをしようと考え、街角のカフェでパスタとカプチーノを頼む。
13:45、7年前に来たことのあるサンタ・マリア・デラ・グラッツェ教会に着いてみると、なんと私の目の前で入り口のシャッターが音もなくセリ上がっていくではないか! 「さすが、この絵を見せるだけでL12000も取っている金持ち教会は違う」などと感心している場合ではない。イタリアの観光は午前中という鉄則を忘れていた私がいけないのだが、それにしても最低である。
歩いて駅に戻り、地下鉄でドゥオーモ広場に。2:00、少し晴れ間が見えたので、ドゥオーモの上にリフトで登ってみる。L8000。
ゴシックの怪獣彫刻や聖人の像だけでなく、屋根も含めてすべてが大理石でできている。たいへんなものだ。屋上からは、ドゥオーモ広場や周囲を見下ろすことができる。ぐるっと屋上を一周して写真を撮り降りてくる。
2:40、スカラ座に再び参上。ヴェルディの「マクベス」である。この日のために、離日前の忙しい時に友人からビデオを借りて勉強してきたのだ。
今度は4階席である。4階まで上ると係員に、ボックスごとに別れたクロークルームに案内され、ここにジャケットと鞄を置けといわれる。クロークルームの鍵は係員が持っているので安心というわけだ。係員からプログラムを買う。L30000。これはハードカバーで「マクベス」についてのちょっとした研究書であるが、イタリア語だし荷物になって困る。後日確認すると、ガレリアの書店でも売っていた。
ボックス席は5人が入ることになっていて、私が持っているのはn4の席なのでたいして良くない。同室は男性3人で、女性が1人。この女性が多少英語ができる。n1の席に座っている初老の紳士はジャーナリストで、最近ウッディ・アレンにインタビューしたが、そのウッディ・アレンが平戸間に座っているという。
見てみると、確かに彼のメガネとハゲ頭だ。いつまで経ってもあれ以上あのハゲが進行しないのは全く不思議だ。なんでも彼の横に座っている27歳の東洋系の女性と再婚して、新婚旅行に来ているのだという。ベニスに行って、これからパリへ回るとCNNで言っていた。
開演前に「マリア・グレギーナは少し体調が悪いが、彼女は歌うと言っている」というアナウンスがあり、観客は拍手喝采する。「マリア・グレギーナはMETで去年トスカのタイトルロールを聞いた。アラーニャは今週の火曜日にロンドンで聞いた」と自慢する。ボックス席は知らない者同士なのだが、なかなか騒々しい。イタリア語だが、固有名詞を知っているので、何となく何を話しているのか分かるのが面白い。
ムーティーが入ってきたとたんに、ブラボーの声。幕が上がると、舞台のど真ん中に宇宙から落っこちてきたような巨大な立方体が突き刺さっており、舞台空間全体を占領している。まず、魔女達が出てくるのだが、衣装もやや現代的なものである。この立方体が回転すると、中にグレギーナのマクベス夫人が座っているという趣向である。第4幕の戦いの場面では歌舞伎の立ち回りの手法が使われていた。してみると、日本好きな演出家なのだろう。
ミラノ・スカラ座管弦楽団だが、私はこのオケを6年前にパリで、ジュリーニの指揮で聞いて爆睡したことがある。曲目はベートーベンの6番7番だった。技巧も音色も、とても洗練されているとは言い難い。しかし、このオケがベルディを演奏するとき、しかも悲劇の色調が強まれば強まるほど、他のオケが絶対にマネすることのできない深い世界が一瞬、口を開けるのである。そして観客は、理不尽に悲劇的で倒錯的な、自己目的化した悲劇美の中に没入していくことができるのだ。
さらに素晴らしいのは合唱団だ。この合唱団の特質も上に同じである。そしてスカラ座は、世界的なヴィルトーゾを招聘することができる。マクベス役のレナート・ブルゾンも良かった。グレギーナは最初危うかったが、後半にはよく声が出ていて、特に4幕のアリアは絶好調であった。アラーニャは父の復讐を果たしマクベスを倒す青年の役で4幕に登場し、その歌声を堪能させてくれた。そして終幕、歌手、合唱団、オケが暴君に対する勝利を高らかに歌い上げる。
ああ、彼らが作り出すこの美は、何物にも替え難い。これこそ本物のオペラであろう。そしてこの感覚こそ、イタリアが磨き上げてきた文化なのである。
このオペラは珍しく4幕物である。「オテロ」に比べると筋を追うことに終始していて、人物の感情についての彫り込みが薄い。それでも、どんなヘンテコなストーリー展開でも、どんなに無茶なシチュエーションでも、前後の脈略は問わず、その一瞬が美しく、観客の情緒に訴え掛ける説得力があれば、それを良しとしてしまうのが彼らなのだろう。
とはいえ、幕間は25分ずつ。第3幕と第4幕の間は35分もあるので、外に出て目をつけておいた革製品の店で自分用の財布を買う。7年前にフィレンツェで買った財布は、ぽろぽろになるまで使ってしまったからだ。
7:10、第4幕が終わるとブラボーの大合唱である。実に幸せな気持ちでホテルに戻り、フロントで紹介してもらったRITAというリストランテに行ってみる。ウエイトレスは中国人だが、厨房はシチリア人だと言う。じゃあシーフードだなと、サーモンのカルパッチョとシチリアのパスタ、魚のムニエル、白ワイン、ティラミスを頼む。特に魚のムニエルが何とも言えず美味である。ここで出たパンは、そのまま食べると固くてまずいが、ソースに浸すと何とも言えぬ美味を醸し出すから不思議である。
「マクベス」のプログラムの図版を見ながら食事する。ティラミスはカップに盛ってあり、奥の方が水っぽくっていただけないと思った。ホテルマンに文句を言うと、「いや、自分はいつもティラミスを頼んでいるが、あれはうまいよ」と言われる。味覚の違いか?
10:00、ホテルに帰り、パソコンに充電しながら写真を整理する。足の指でコードを挟みつつ、キーボードを打つのだが、実に情けなくなってくる。しかも聞いてみると、国際電話はオペレータを通さなければならないらしく、このホテルからのパソ通は諦めざるを得ない。0:30就寝。