趣意
ベネチア共和国時代の三角帆の貿易船を再現して、ベネチアのドゥカーレ宮の前に係留するというのはどうでしょうか。
日本はベネチアと同じ貿易国家なので、興味を持つ日本企業はありそうだし、観光資源としてかなり意味のあるものになると思うのですが。
ベネチア貿易船の復元には、以下のようなメリットがある。
1.ベネチア共和国についての理解を世界中から来る観光客に広められる
2.スポンサー企業の文化貢献によるイメージアップ+宣伝効果
ベネチアには毎年2000万人とも言われる観光客が訪れる。なんと1日6万人! ベネチアの町並はほぼ17世紀前半の姿をとどめており、ほとんど変わっていない。つまり17世紀前半以前の壮麗な町並を見るために、アドリア海の小さな島に、これだけ多くの人びとが世界中から押し寄せているわけだ。最近ではジョニー・ディップが大運河沿いの邸宅を購入するなど、ベネチアの人気は衰えを知らない。
ベネチアの町は10世紀以前から、干潟を埋め立てて作られた完全に人工の島の上に建ち、運河が張り巡らされた景観は歩くごとに趣を変えて人びとの目を楽しませる。また、贅を尽くしたサンマルコ寺院やドゥカーレ宮の内部は、この偉大な海洋国家の財力と歴史の重みを感じるに十分なものがある。
では、なぜアドリア海の海の上にこのような壮麗な町並が400年も前に浮かび上がってきたのか。休暇でベネチアを訪れる観光客は、水面に浮かぶ町並に魅せられはしても、そんなよしなしごとを考えはしないというのは当然かもしれない。
しかし、果たしてそれでいいのだろうか・・・
ベネチアの魅力的な町を作ったのは、ベネチア共和国が地中海の貿易国家として数百年にわたる繁栄をほしいままにしてきたからだった。
そしてこの共和国をヨーロッパ最大の富裕国にし、「アドリア海の女王」と呼ばしめた主役は、ベネチア共和国の貿易船団であった。ベネチアの船団はジェノバなど他のイタリア海洋国家を打ち破っただけではなく、レパントの海戦でトルコ海軍を撃破して、大国トルコの地中海進出の野望を打ち砕いた。ベネチアは、海上勢力として地中海のトップに君臨できたから、金融業を発達させ、ヨーロッパの通貨を支配し、会計制度を発達させ、文化の発信地として繁栄した。そのベネチア共和国の千年の営みの結実こそ、現代の観光客の目を楽しませるこの町並なのだ。
しかしいまのベネチアを訪れても、この町に偉大な栄光と繁栄をもたらした貿易船の姿は影も形もない。あるのは船頭がカンツォーネを歌って観光客からチップをねだるゴンドラばかりである。
それなら、観光客が「ベネチアというのは仮面とゴンドラの町に過ぎない」と誤解してもしかたはない。だがそれは大人の認識ではないと思う。ベネチアはディズニーランドじゃない。人類の知恵と文化が到達したある到達点を今の世に伝えるものであって、それをその程度の認識で行き過ごしてしまうのはもったいないにも程がある。
違う。まったく違う、ベネチアにとって大切な船は、ゴンドラではなくて貿易船なんだ!
トリレンミ(ベネチア海事博物館の模型)
ここには過去の偉大な文化と現代人の意識との間の、何かしらの隔絶がある。この懸隔は埋める必要がある。それを埋めるものこそ、ベネチア共和国時代の貿易船の復元に他ならない。
百聞は一見に如かず、サンマルコ広場に貿易船が係留されていれば、「ああそうかこの国は貿易立国で、この船がこの栄華をもたらしたんだな」と、説明しなくても誰でも分かる。
年に数度は実際に乗組員を乗せて漕げば、ベネチア共和国の繁栄を偲ぶいいイベントにもなり、新たな観光ポイントになるだろう。
この復元事業によって、ほとんど忘れ去られていた海洋国家としてのベネチア共和国は、21世紀の人びとの意識に甦ることができる。
そして、この復元事業に手を貸す者は、この世界史上あまりにも偉大な千年共和国に、自社を関連づけることができる、それも最も有意義なかたちで、ベネチアを訪れる年間2000万人の人びとの意識に、これ以上ないほど強烈な印象を与えつつ、関連づけることができるという至上の栄誉を手にすることだろう。
復元ベネチア貿易船 概要
ベネチアの貿易船は2種類あった。ガレー船と三角帆を張った帆船である。
帆船は主に、重量のある荷物を運ぶのに使われた。
これに対してガレー船は細長くて、荷物の輸送には向かない。船団護衛・戦闘用である。丸腰の輸送船のみでは海賊の餌食だ。幅5メートル長さ40メートルの船に100人を超える漕ぎ手が乗り込んでいた。14世紀にはトリレンミと呼ばれる、ひとつの腰掛けに3人が座って櫂を操るガレー船が発達した。
また少数ではあるが、「ロッカフォルテ」(城塞)と呼ばれる500トンを超える大型帆船もあった。
イタリアの海洋国家は、こうした船が船団を組んで定期航路を運用し、決められたシーズンに決められた物資を安定的に輸送して莫大な利益を上げていた。ベネチア共和国は売上の1%を徴税し国庫に入れた。
復元の第一目標は、このトリレンミと呼ばれるガレー船だろう。
木造船の復元費用は安い。材料にこだわらなければ、せいぜい10億円もあれば復元可能だろう。余裕があれば帆船も一艘復元してペアで展示すればよい。
アーセナルの門イベント時の漕ぎ手は海軍あたりから調達すればよい。
展示場所は、歴史的な意味合いと、観光客への露出を勘案すると、ベネチア市当局と交渉してドゥカーレ宮のピンクの壁面沿いの岸壁のゴンドラを多少よけてもらって係留施設を作ればよい。
年間ほぼ2000万人が復元貿易船を目にすることになるだろう。
またサンマルコ広場からほど近い島の東部に、共和国時代の造船所施設「アーセナル」がそのまま残っているが、イタリア海軍が使用していて立ち入り禁止である。数百年も前の施設を今世紀の海軍が使うことにどれほど意味があるのか分からないので、ベネチア市のほうから軍に交渉してもらってここに復元船を置けば、内水面があるので船が波浪に晒されないし、イベントもやりやすい。
周辺施設を含めた一体再開発を行えばいくらでも、観光客がもっとカネを落としてくれる魅力的な施設とすることが可能なはずだ。
復元船は、その持てる文化的な意味合いの大きさゆえに、十分そうした再開発の中核になりうるだろう。
共和国時代からの造船所{アーセナル」(Googleマップから)
事業主体
この復元事業はとにかく安くすみ、しかも波及効果が大きいためコストパフォーマンスが異常に高いと考えられる。
そこで日本の民間企業のメセナ事業として十分現実的である。
唯一のネックはベネチア市とうまく折り合いをつけることだが、復元事業の持つ意味合いの大きさは誰にでも明白なことなので、説得に大きな障害があるとは考えにくい。
復元自体は安くすむので、その効果を自社のイメージアップにどう結びつけるか、短絡的でない、長期的な視点でのプランで文化的貢献を行う姿勢を持っている企業が、単独もしくは複数で取り組むことが望ましい。
まず復元船を一艘造り、その波及効果を証明して、より広い活用法やアーセナルの再開発を提案するという多段階の取り組みもよいかもしれない。
以上
2013.3.7
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