ヘレン・キームゼー城
手塚 代表取締役名誉相談役
8月28日の水曜は昨夜の雨が少し残って明けた。9時にホテルを出発。ここで通常の観光客なら更に南下してアウグスブルグ、フュッセンと進み、有名なノイシェヴァンシュタイン城へ向かうというのが常道なのだが、今回はアウグスブルグを飛ばし、ミュンヘン市内も通過して、進路を東に取り、ドイツ・バイエルン州最大の湖、キーム湖に向かう。後半の高速52号線のアウトバーンに乗ると、なにしろ時速200kmで走れるので、合計250kmの道のりもそう苦にならない。午後1時過ぎに雨上がりのキーム湖に到着する。ここから湖に浮かぶ小さな島、ヘレン・インゼルには船で渡る事になる。
何はともあれまず昼食ということで、船着き場のレストランに入り、ソーセージとポテトのサラダと、いかにも美味そうだったキルッシュ・トルテを食べる。
さていよいよ旅のテーマ、ルードヴィッヒ2世の城訪問の始まりである。キーム湖に浮かぶ小島に静かにたたずむのは、王の最後の、そして未完の城「ヘレン・キームゼー城」である。渡し船は静かに湖面を進み、15分ほどで雨上がりの木々に囲まれしっとしとしたたたずまいのヘレン・インゼルに着く。船着き場からは木立に囲まれた舗装されていない道を約10分、静かに歩いていく。そして突然、目の前が開けたかと思うと、そこにヘレン・キームゼーの前庭と巨大な噴水、そして城館のグラン・ファサードが目に入ってくる。
まず目に付くのが噴水である。噴水ラトーナ・ブルンネンと呼ばれるこの円形、階段状の噴水は、なんとベルサイユ宮のラトーナ噴水とうりふたつなのである。この大噴水を囲む両側にはさらに2つの噴水がしぶきを高くあげており、フランスバロック様式の神髄を模している。ここになくてヴェルサイユにあるのはラトーナ噴水と対を成してグラン・カナールに配置されたアポロの泉ぐらいか。ベルサイユでは広大な庭園に運河が巡らして有るが、ここでは、城を中心に左右、背後へ森を切り開いて伸びる庭園が、キーム湖にぶつかっており、広大な湖へと視界が広がるように設計されている。
宮殿の正面であるが、これは左右のウィングが無いため、長さこそベルサイユのおよそ半分であるが、デザインといい装飾といい配色といい、まったくヴェルサイユ本宮のコピーという代物。そしてガイドツアーで宮殿内に案内されて唖然とさせられるのは、始めに通される「トレッペン・ハウス」なる総大理石の階段の間である。これこそまさにヴェルサイユの「全権大使の階段」そのもの。違うのは、天井が自然光を取り入れるために白ガラス張りになっていて、おかげで大理石彫刻、金装飾された絢爛豪華なバロック風装飾が、ヴェルサイユ以上にまばゆいばかりに光の中に浮き立っていることくらいである。
さらに先に進むと、これでもかこれでもかという豪華さの控えの間が続き、そして王の謁見用寝室に至るのだが、ここに至って、ヘレンキームゼーはヴェルサイユを遥かに凌ぐことになる。もはやこの寝室の装飾には絶句するしかない。壁面、天井のほぼ3分の2は輝くばかりの金で装飾されている。ゴールドフィンガー太閤秀吉も真っ青な、純金づくしの部屋の中央に、これも純金づくしのまばゆいばかりの装飾で飾られた寝台が配置されている。天井からは部屋中の金を反射してきらきら輝く、巨大なクリスタルのシャンデリアが下がり、暖炉から家具に至るまで、例外なく金装飾が施されているのである。ルードヴィッヒはこの部屋について「王権神受説に導いたブルボン王朝の王ルイ14世とそのイニシアル、LL、それ唯一のための広間とする」と記しているという。太陽王ルイ14世をあこがれた「生まれたのが遅すぎた悲劇の王」ルードヴィッヒの夢と狂気がこの部屋を作らせたのだろう。
さらに進むと、突き当たり奥にさらに驚愕の光景が展開される。「鏡の間」である。ヴェルサイユ観光の白眉はその絢爛豪華さで有名な「鏡の間」であるが、ここヘレンキームゼーにはヴェルサイユを上回る規模の「鏡の間」が存在しているのである。ここに至って、王の狂気と孤独は尋常でなかったことを実感する。絶対王政の実現はおろか、フランス革命後の欧州各地で戦乱と革命が起き、プロイセンの台頭の中で、ドイツ諸侯がビスマルク主導の「統一ドイツ」に飲み込まれようとしていく情勢に囲まれた19世紀末のバイエルン王国において、王ルードヴィッヒは天文学的な国費をつぎ込んでこのヘレンキームゼー以下の城を建設し、この「鏡の間」の装飾を行わせていたのである。現実からの逃避と中世封建王政への憧れ、そして美の世界への耽溺。この壮麗な鏡の間が映すのは、ブルボン王朝の堂々の栄華ではなく、崩れ去りゆくヨーロッパ封建王政の空虚な幻なのである。
さて、去りがたき気持ちを押さえつつ、午後4時にヘレンキームゼーを後にして、再び車に乗って、今宵の宿泊地、ベルヒテスガーデンへ向かう。ここは、ドイツ東南部のオーストリアに食い込んだ地域で、アルプスのふもとの景勝地として知られている。あのヒットラーが別荘を構えていたことでも有名である。
宿泊は当地で最も高級なHotel Geiger(ツイン1泊204ドル)。山間を静かに流れる渓谷沿いの丘の斜面に立つアルプスの山小屋風の美しいホテルである。午後6時にチェックインして、ホテルのレストランでゆっくり夕食をとる。鹿の頭の剥製や毛皮が飾られ、いかにも山小屋風の、しかし天井が高く重厚な風格のあるレストランだった。