生物学とゲーム理論
運営者 日高は、動物行動学者として有名な、それより『攻撃』の著者として有名なコンラート・ローレンツ(ノーベル賞受賞者、ハイイロガンの研究でも有名)や、イギリスにおける利己的遺伝子論の提唱者であるリチャード・ドーキンスの日本への紹介者です。
手塚 その弟子の竹内久美子が面白いことを書いていた、「オトコには理系人間と文系人間がいる」と。
基本的に文系人間は口が巧くて社交的である。一方、理系の男というのは田中耕一さんのようなもので、口下手で引きこもりがちでな地味な存在である。そうすると、純粋競争をやっている状態ではどちらが女性を口説いて遺伝子を残すのに巧みであるかというと、圧倒的に文系の男の方が口説くのに強い。理系の男というのは、もともと女性を口説くような才能を持ち合わせていないから「理系の男」というレッテルが張られるのだ・・。
しかし、何千年も昔からそうであったにもかかわらず、なぜいまだに理系の男の遺伝子が残っているのだろうか。優秀な遺伝子が勝ち残るという生物学の掟からすれば、理系人間は絶滅していてもおかしくないのではないだろうかって考えるわけです。
この疑問に対する彼女の結論は、一種のゲーム理論的な考え方かもしれませんが、確かに平和な社会においては文系の男が子孫を残しやすいでしょう。しかし戦争になると戦略や兵器の開発に長けていない文系人間は、一番最初に最前線に出されて死んでしまう。一方、思考の才能がある理系男は新兵器の開発者として、あるいは参謀として銃後に残る。この時文系人間は大量に淘汰されてしまうのだ。そういうことが人間の歴史の中で繰り返されているが故に、理系人間と文系人間の比率が保たれているのではないだろうか、というような説明をしているんだけど・・・。もしかして戦後日本の技術の発展は生き残った男が圧倒的に理系だったということにあるのかもしれない・・・。
運営者 確かに、イギリスでは第一次世界大戦の時に、若くて愛国心にあふれた行動力のある若者がこぞってヨーロッパ戦線で死んでいったということはありましたが。
竹内さんは、遺伝子の観点から見て、人間の文化的な行動を説明しようということをずっとやっている人です。さっき手塚さんがおっしゃった説明だと、細かいことはテーマに関係ないので触れませんが、おそらく遺伝学者であれば10カ所は突っ込みどころがあると思いますよ。
僕は、この利己的遺伝子論というのは、83年にウィルソンの『人間の本性について』『社会生物学』、ドーキンスの『生物=生存機械論』(『利己的な遺伝子』の旧版)を読んで、その後も注目してきました。この2人は、集団遺伝学と動物行動学を組み合わせて、それを大胆に人間に適用しようとした初めての生物学者なんです。ウィルソンの『人間の本性について』は、非常に衝撃的な本で、ピュリッツアー賞を受賞しています。
しかし日本では、そういう大胆な人間への適用をしようと試みる生物学者はなかなか出てこなかったんです。実は私、当時そういう人を探していて、何人かには接触しています。