経済学の世界では「儲けるのは悪いこと」
運営者 竹内さんの試みはある意味、意味があることは認めますが、非常に危険な側面があるということは指摘したいと思いますね。生物学者は誤解することはないでしょうが、一般の人は誤解をしてもおかしくないところが多い。
利己的遺伝子論は欧米にやや遅れて日本でも90年代前半に、ブームになりました。僕は、利己的遺伝子論は、人間の社会構造全体を考えるための非常に大きな枠組みを提供してくれるものであり、ウィルソンが提唱しているようにすべての学問の土台になりうるほどの意味を持つものだと思っています。
それを日本では、「人間は子供を残すために生きている」、あるいは「人間は遺伝子の乗り物でしかない」といった皮相的な形で、バブルの中で文化的に消費してしまった。これは非常に残念なことだと思います。僕自身は、利己的遺伝子論は、遺伝学のさらなる進歩とともに、もう一度大きなムーヴメントになる可能性があると思っています。生物の形質だけではなく、行動を支配する遺伝子も発見されてきているようですからね。
ただ繰り返しになりますが、竹内さんのやってることにも、学問的厳密性には欠けるかもしれませんが、そういう大枠を常に提示し続けているという意味は認められますよ。
手塚 それと同じようなことは経済学や経営学にもあって、学者が学問的厳密性だけを追求して、それを大学で体系的、演繹的に教えるというやり方はでは、まったく現実には応用がきかないんです。
経済学で使われているゲーム理論をフォン・ノイマンのグループが出してきた時の流れというのは、「第二次世界大戦にどうやって勝つか」という戦略そのものだったわけですから。映画「ビューティフル・マインド」の主人公で、ゲーム理論の「ナッシュ均衡」を発見したナッシュも軍事戦略の世界にいて、極度の精神分裂症になって行った。
戦争に勝つために、敵の強み弱みと自分の強み弱み、敵の動きを想定して、それに対して「自分たちはどのように動くのが最適なシナリオであるか」という答えを出すための実用的な学問だったんです。
ところが日本の大学ではそのように実際的な形でゲーム理論を教えずに、完成した理論の美しさだけを教えている。結局経済学というのは、現場の経営者が使えるような形では説明されていないと思います。
それから、経済学者というのはさっきも言った様に「金を儲けるのは悪である」というナイーブな立場に立っているかもしれませんね。
運営者 ホントですか?
手塚 だって、企業が何らかの形で長期的に利益を出したということは、「市場や業界構造に歪みがあるからである」と彼らは考えるんです。不完全な競争から得られる企業の利益は社会の非効率、損失だっていうのです。