旧日本人には「競争のルールを変える思考」がない
運営者 それは確かにコスト競争力ではありますが、マイナス方向にしか考えていないように思いますよね。
箭内昇さんが最近講演している中で、「調整型エリートの陥穽」ということで、東大法学部で何を勉強するかというと、解決法が2つあった場合に、結果として起こる問題を列挙して、マイナスが結果として少なくなる方を選択しようとするのだそうです。「両者の利害を相殺して調整する。これが衡平の原則だ。リーガルマインドとは、バランス感覚のことである」というんですね。それだけを勉強してガッコーから出てきた人たちが役所や銀行の出世街道に並んでいるということです。
結局マイナスの方向に凸凹をならしているだけで、守りしかできないということですよ。
「それがメガバンクの誤算だった」と、問題点の最初に挙げています。
手塚 まず与えられた条件や今の状況を是として、問題の解決方法を考え、それぞれの利害得失を並べ、決して完全ではないにしろ相対的に見てよさそうなものを選ぶということでしょうね。
問題構造そのものを根本的にひっくり返すような根本的な構想力はないんですよ。
運営者 根本的とは言わないまでにしても、「いかにして自分たちの立場を有利に持っていくか」という工夫すらも見られないですよね。どうやらそういうことができるのは、経済産業省や財務省のごく一部分のスーパーエリートだけかなという感じがします。
新日本人論から見て、旧日本人がなぜそのように行動するのかを考えてみると、旧日本人はピラミッド構造の社会システム中のみで棲息可能な人種だからなんです。霞ヶ関が頂点にあって、その下に銀行があり、その下に大企業があり、その下に子会社があり、その下に孫請け会社があるピラミッド構造。
旧日本人には、「この中での各プレーヤーの関係は支配=従属関係である、このルールは崩すことができなものだ、そんなことをやってはならない」というタブー感がアタマに染みついているからなんだと思いますね。
というよりも、「競争のルールを変える」とういう思考法自体も持ち合わせていないんです。だから「競争のルールを変えることは悪いことである」という価値観があるんでしょう。
日本の産業人の頭の中にあるのは、「競争のルールを変える」なんてことではなくて、40年体制としてできあがった産業統制体制なんです。企画院が作った計画経済を、産業別統制会が取りまとめて実行するわけで、業界全体が共同体ですから、「お互い最後までの殺し合いや切り合いはしない」という前提がまずあるんでしょう。