新イタリア紀行【3】
手塚 代表取締役名誉相談役
2000.3.25
この日の予定はこれで終わり、再びタクシーを呼んでもらって夕刻、ホテルにもどった。中部イタリアの晩秋はかなり冷え込む。日没を迎え外の気温は10度を切っていた。比較的温かかった日本をコートを持たずに出てきたM博士は、さすがに寒いということで、モデナのダウンタウンでジャケットを買おうということになった。
ホテルで呼んでもらったタクシーの運転手にモデナのショッピング街に行って欲しいというと(田舎町なのでたいした店もないのではないかと懸念しつつ)、それならピアッツア・エミリア(エミリア広場)だといって、連れていってくれた。その広場はヴィア・エミリア(エミリア街道)が街を貫く丁度真ん中にあった。
エミリア街道。これは古代ローマ帝国にさかのぼる枢要な街道である。アドリア海に面したアンコナ、リミニの街から、ボローニャ、モデナ、パルマ、ピアチャンツァなど、中世の公国首都を通り、ロンバルディアの中心ミラノまで、ほぼ一直線に北西に向かっている。「すべての道はローマに通じる」ではないが、2000年前のローマ人達は交通ネットワークの整備が帝国経営に必須と考え、実に見事な交通システムを築き上げたのであるが、まさにそのエミリア街道がモデナ市を貫いている中央に、けっしてばかにできない立派な高級ブティック街が栄えていた。
寒さのなかを何軒かのブティックを見て、値段の感じをつかみながら、結局M博士は英国風紳士服の専門店で、アクアスキュータムのハーフコートを購入することになった。コートを持参していた筆者は、とりあえずブティックには関心がなかったが、モデナにきたらぜひ買おうと思っているものがあった。バルサミコ酢である。
アセト・バルサミコ(芳香の酢)は、このモデナの周辺で収穫されるブドウから造られた赤ワインから造ったビネガーを、何年にも渡って樽で熟成、濃縮して造られる。年代ものになると何十年というビンテージがあり、醤油さし1瓶ぶんでも何万円もの値が付けられるという。通りがかって入った店の主人が勧めてくれたのは、薬瓶のような小さな容器に入ったもので、12年ものと21年ものがあるという。
21年は瓶を傾けてもトロリとしていてなかなか動かないくらい飴のように熟成していた。お値段の方も一瓶8000円以上と、さすがにお酢にしては値がはっているので、結局12年ものの方を購入した。それでも一瓶4000円。かなりのものだ。
でも躊躇している筆者に、店の主人は身振り手振りで「舐めてみるか」と手招きし、一さじ試食させてくれたのだが、これが何とも言えない甘い熟成した味と芳香で、すっかり魅了されてしまった。酸味はほとんどいっていいほどなく、極上の発酵をとげた酸の旨味が口いっぱいに広がっていった。このお酢を楽しむには、極上のパルメザンチーズをスライスして、その上に数滴たらして食べるといいと教えてもらう。結局これを2瓶買って土産にする。
さて、こうしてささやかなショッピングを楽しんでも、まだ7時を少しすぎたところである。今夜夕食を予約したレストラン、Ristrante Finiは8時開店ということで、店の前までいってもシャッターがおりていて、灯りすらついていない。しかたなく街角のバールに入って、食前酒のスプマンテ(イタリア産のシャンペン)を飲んで時間をつぶすことにした。イタリアの片田舎のバールに突然、スーツを着た日本人2人が入ってきてカウンター越しに酒を注文するのだから、注文する方もされる方もやや緊張してしまう。しかしそこは陽気なイタリア人。店のオヤジは我々がスプマンテを飲んで話し込んでいると、クラッカーとナッツのつまみの入ったボールを持ってきてくれた。
さて今宵のディナーはFiniである。有名なミシュランのガイドブックで二つ星。
こんな田舎街にどうしてと思ってしまうが、ここはイタリアの有名な食品会社Finiが経営する、エミーリャ・ロマーナ地方を代表するリストランテなのである。あの3大テナーで有名なパヴァロッティが、彼の生まれ故郷であるモデナを訪れると、必ず食べによるということでも有名なこの店は、今宵も予約で満員であった。
いかにもアメリカ人の出張者といった風情のグループを引き連れて料理の解説に忙しいイタリア人。かなり年配でいかにも金持ちそうな優雅なカップル。どう見ても50過ぎの禿げたオヤジと、肌もあらわなドレスをまとったセクシーな金髪の若い女性のカップル等等。ここは食べることが恋することと歌うことと並んで人生の最も大切な目的となっているイタリアである。まずかろうはずはないと期待に胸弾ませながら席につくと、黒い服を着たウェイターがすかさず食前酒のスプマンテを注いでくれる。迅速かつ隙のないサービスだ。
これを飲みつつイタリア語のメニューと格闘を始めたのであるが、しばらくするとウェイターがやってきて英語のメニューも用意されているという。「そんなことは早くいえよ」とかいいながらも、良く照らし合わせて見ると、英語のメニューの方には本日のお勧めが書いてないので、結局両方読まないとダメだと気がつき、ガイドブック片手にようやく解読を終えて注文をした。
筆者はアスパラと海老の自家製パスタに、牛肉フィレのバルサミコ酢ソース。M博士は木の子のリゾットと子牛の料理。ワインは昨晩が超ヘビーなバルバレスコだったので、少し軽めの赤のヴァルポリチェッラ。
ここのパスタは美味だった。腰のある緑と白の手打ち麺に、アスパラガスと小海老のソテーが和えてあるのであるが、これが何ともいえず甘くかぐわしい旨味が溢れていた。メインの牛も、レアなステーキにこくの有るバルサミコヴィネガーの味が染み込み、ワインにピッタリの逸品。この後、甘さを控え、洋酒の利いたデザートのケーキをたいらげ、大満足でホテルへの帰路についた。