自分がいくら稼いだかが問題だ
手塚 代表取締役名誉相談役 2000.1.19
運営者 で、"ビジネス・マインド"とは何かという問いに戻りたいのですが、「ビジネスというのは、自分のやった仕事で付加価値をつけて利益を出すことだ」と意識して仕事している会社員って、あまり見かけませんよね。
どちらかというと日本のビジネスマンは、共同体に力を貸す、もっと言うなら少なくとも逆らわないことで、共同体に養ってもらうという感覚に近いと思うのです。株主の立場を考えないどころか、下手をすると「企業は儲けを出さなければならないんだ」ということも、意識していないかもしれない人がいる。
日本の企業人がビジネスマンになるためには、何を付加しなければならないのかというのが私のテーマなのですが。
手塚 自分の給料と、自分が出しているアウトプットを比較したときに、アウトプットのほうが大きくなければ、会社全体の経営行動の総和はプラスにはならないんですけどね(笑)。
サラリーマンの発想は、「昼間は与えられた仕事をこなして、夜は上司と適当に付き合い、その結果このくらいの給料がもらえて、出世すればそれが何割か増える」というイメージでしょうか。
高給をもらっているアメリカの経営者は、「自分がやった仕事で会社にもたらしている価値がこれだけある。そのうちの何パーセントかを自分がいただきたい」という考え方。
経営者だけでなくて、ビジネスマンはみんなそういう発想で働いてますよ。経営者が年間事業計画を立てて、年間の売上やコスト削減の目標設定を行う。それにのっとって間接部門も目標を立てて、上司との間で合意する。たとえば財務部門であれば、「これだけ資金調達コストを減らす」といった感じで目標を立て、それが達成されれば上司と個別交渉して自分の付加価値をアピールし、給料に反映させるように交渉するわけです。
明確に、定量的に交渉できるような指標をつくるし、査定は毎年本人に公開して、次の目標値も明確に定めているわけです。
運営者 日本企業はそうした目標が曖昧模糊としているし、査定に至っては非公開ですからね。何年か前に、ある総合商社が給与明細に査定を明記したのですが、それはかなりの英断だったと人事部長が言ってました。
仕事をしてもしなくても同じなのなら、できる社員は自分で仕事をつくっていこうとするかもしれないけど、そうすると出来ない上司の側から見ていると「あいつは煙たい。寝首をかかれちゃかなわん」ということで遠ざけられ、干されてしまうわけです。
「和を以て貴となす」というのは、日本の組織では「利益追求」よりももう一つ上位の価値概念なのかもしれませんね。「こいつは組織の和を乱す嫌な奴だけど、こいつに任せておくと儲かるからやらせてみよう」ということにはなかなかならないんですよ。
手塚 アメリカではやるんです。そうすれば、上司は自分の立場も地位も収入もよくなるわけですから。経営者は「嫌な奴だけど、できる社員」をどんどん登用していこうと思いますよね。
個々の社員の目的がはっきりしていて、組織の価値観を最優先に置かなくても良いという社会であれば、それが可能です。アメリカなら、嫌なら辞めればいいんです。「今の自分の立場では仕事がやりにくくなっているが、他の組織に移ればもっとアウトプットを出すことができる」と判断した人は、平気で会社を移って、また翌日からさも10年もそこに勤めているかのように問題なく働くということがありますよ。これも結構驚かされることですがね。
運営者 つまり、仕事と組織は分離可能である。そのカイシャでしかできない仕事など、仕事ではないというと言い過ぎですかね。
日本のサラリーマンは集団に帰属してアイデンティティを保っていますから、カイシャから離れるということは、自分にできる仕事を失うだけではなくて、存在を否定されてしまうことになるんです。
だからリストラ(首切り)というのは「非道い、非人道的だ」ということになる。
手塚 集団から引き剥がされることが残酷だという考え方は、アメリカにはありませんね。カイシャは人生観を共にしていることで集まっている集団ではないのだから、お互いに利益貢献ができなくなれば、その本人も「また別な機会を求めよう」と割り切ることができるのです。
運営者 特に日本のホワイトカラーで問題だと思うのは、カイシャという集団に帰属することによって「あなたは仕事をやって儲けることを求められているんですよ」という目的意識が希薄になっている。静かにさえしていれば養ってもらえる、そういう立場が制度的に保証されていると勘違いしていることにあると思います。企業は社会保障の一つの手段だという認識が一般的ですから。
それを、「自分がいくら稼いだかが問題なんだ」というふうに意識を変えるためにはどうすればいいのでしょうか。
手塚 それはカイシャは社会制度上潰れないということが前提になっていたからそういう意識が出てきたわけで、おそらくそれは戦後何十年の、ごくごく限られた時期にのみ成立していたパラダイムなんだと思いますよ。
運営者 「無から有は産めないんだ。何年も儲からない会社は潰れるんだ。自分が生み出している価値以上の給料をもらっている人が何千人もいる会社はもたないんだ」という認識がないのはまずいし、そういう意識を放置して、その上にあぐらをかいている経営者も責任を感じるべきだと思いますね。