法規破りの商売はビジネスではない
手塚 代表取締役名誉相談役 2000.1.20
運営者 コンプライアンスについてなのですが、「ビジネスは法規を遵守してやる必要がある」という感覚が日本の企業人に薄いのはなぜか。独禁法破りなんか当たり前という感じですが。
手塚 罰則の厳しさが違うということがあります。アメリカで独禁法に触れたら会社分割、経営者は牢屋行きですからね。刑事罰まであるわけですよ。違反の全てを摘?(-しているわけではないが、摘発されたら会社も経営者も終わりになる。凄い抑止力ですよ。
運営者 そういうレベルで遵法精神をつくってるんですか!
手塚 取締役も経営者に対するチェックを怠っていると訴えられてしまうので、役員会で細かく「これは合法性をチェックしたのか、どうなんだ」と経営者に訊ねますから、それに答えることができない経営者は、クビを替えられてしまう。そうするとできない経営者はどんどん淘汰されていきますよね。
だから、アメリカのビジネスに参加している人の大方はコンプライアンスを常に意識しているし、そうでなければ昇進できないメカニズムがあるわけです。
社外取締役は非常勤ですから、年に何回かの役員会と、委員会に出席するたびに、報酬をもらうわけですが、経営者に対して平気で文句を言います。なぜならもし何も言わずに「何にも専務」をやっていたのでは、何か起こって義務不履行で訴えられたときに彼ら自身が高額の賠償を払わなければなりませんから。
つまりアメリカには性悪説に則って、お互いのやっていることをチェックする仕組みがあるようですね。
運営者 うーん。この点に関しては、明らかに日本と違いますね。立場によって賛否両論あると思います。で、そのコンプライアンスの精神を、具体的に社員の日々の業務までおろしていく仕組みはどうなっているのですか。
手塚 日々の業務に関しては社員倫理規定とか、営業マンのマニュアルとか、購買マンのマニュアルの中にかなり細かく規定していて、「役人と食事するときは○○ドル以内なら奢ってもいい、これは法律で決まっている」とか、「内部規定として、購買マンは出入り業者からものをもらってはいけない、もらったものは返せ」とか子供向けみたいなことが書いてありますよ。
何ヶ月かおきに新規採用者を集めて社内規定の説明会をやっているし、雇用均等のような比較的新しい決め事で、判例で変わるようなものについては毎年全社員を研修所に集めて、専門のコンサルタントによる講習を受けさせています。
会社としては、受講した人間のサインをもらって、ちゃんと持っておくことが大切なんです。その先に法令違反をした者がいれば、それはその人の問題だし、会社はその人を訴えることができるわけです。いつも自分の免責に気を配る傾向はありますね。
運営者 ここのところ元気がいいグローバルスタンダード反対論者は、「それじゃあ、あまりにギスギスしてるじゃないか。多少のことには目をつぶって、仲間を信頼できないというのはよくないよ」と言うところでしょうな。共同体志向的な感情への訴えどころですからね。
手塚 そりゃ、アメリカ人だって100%厳密にはやってないと思いますよ。
業者と昼飯を食べて、300ドルの飯なら断るでしょうが5ドルのサンドイッチまで断るとギスギスするでしょう。ちゃんとけじめをもって仕事している社員なら、自分がやっているのは会社に対して公明正大なことだし、世間の常識の範囲ということで奢ってもらうでしょうが、もし彼が他で悪いことをやっていたのがバレれば、この5ドルについても罰せられます。だから、マニュアルに書いてあることとずれるのは個人の裁量次第でしょうね。OWN RISKで。
運営者 日本企業でも法令遵守規定をつくった方がいいと思いますか。
手塚 外国企業に株を買っていただかなくともけっこうであるということなら、そんな規定をつくらずにすむでしょうね。でもそれじゃこれから国際化していく資本市場から取り残されてしまう。やっていないと、全く違う観念を持つ人たちに、情報開示を求められたときに、「法律守ってビジネスやってないじゃない」と言われたときに、困っちゃいますよね。若し日本の法律がビジネス慣行の実態にあっていないのなら、法律の方を変えるべきでしょう。
運営者 コンプライアンスの発想を導入すると業績はどうなりますかねえ。
手塚 短期的には落ちる会社もあるかもしれないけど、訴えられたら負けるような非合法なことをやっていて儲けていたビジネスというのは、そもそもビジネスとして成立していると言えるものなのかどうか。
日本では、企業が潰れて失業者が出ることのほうを重大視する人も多いでしょう。でも法治国家であるアメリカでは、そこのところのルールを外してしまったら、他によって立つべき社会規範はないわけです。なんでもありになってしまう。
運営者 家的、ムラ的、共同体的規範というのはないんですね。
手塚 日本人同士なら「ここまではやらない」という暗黙の慣習法的ルールがあって、何事も限度を超えないものです。完全に相手を殺しちゃうと末代までたたりが恐いとかね。
しかし、人種も思想も宗教も成熟度も違う人たちがごちゃ混ぜになって社会を運営しているときに、明文化された法律を「ザルである」と言った瞬間に、アメリカという国家は存在し得なくなってしまうのです。
運営者 逆に言うと、日本企業の限界は、ムラ的共同体の生産性の限界である。ムラ的共同体のもろもろの制約が、日本企業の敗因になっているのではないか。アメリカには、共同体的規範に縛られた生産性の限界がなくて、それを乗り越えたところまで企業組織の可能性が延びているということかもしれませんね。
日本ならどの会社でも同じような戦略を立て、同じような仕組みで動いていますが、共同体のくびきが取れれば、システムを企業ごとに変えることができるでしょうし、かなり自由な形態の企業をつくることができるはずです。アメリカはそれをやっているのでは。
手塚 日本企業がブレイクスルーするためには、そこを乗り越える必要があると思います。従来の日本の企業人は、ある共同体的規範を共通して持っていたかもしれませんね。それである程度のところまで競争すると、業界協調して共存共栄を図ろうという姿勢が、業界全体の発展を阻んでいたのかもしれない。現在、世界中の企業との競争が現実になった中で、その部分が問われつつあるかもしれませんね。