解決策 5 「会社人」から「社会人」へ。社畜意識からの解放。
手塚 代表取締役名誉相談役
運営者 日本人は、出る杭にもなりたがらないし、また社会のために貢献しようと言う発想もありませんよね。
手塚 うん、さっきの人材の解放の延長線上になるんだけど、そもそも日本企業の社員の人たちは、自立した個人として生きているというよりも、組織の中にみずからのアイデンティティーを埋没させちゃって、入れちゃって、「人生が会社そのもの」というようなところに生きちゃっているわけですよ。
制度的に転職ができなく、あるいは失業も苦しいという以前に、そもそも組織を捨てて、別な組織に行くということに対する心理的抵抗のもとになっていると思うんだよね。
運営者 すごい心理的抵抗があるんですよ、これはもう。
手塚 やっぱり軍隊と同じで、入ってから5年間、同じ釜の飯を食べて、一緒の人たちと苦楽をともにしてという生活を送ってくると、しかもほかに移るという選択肢がない世界にいると、ものすごく人間関係は濃密になって、会社そのものが村みたいな社会になってくるわけですよ。そうすると、その中における自立した個人の意識というのは希薄になってくる。ますますやめるという発想、あるいはそこの組織から離れるという発想が出なくなってくる。これは大きな改革を行っていく上で結構深刻な問題だと思うのね。
それを一つ解消する方法としては、個人を自立した個人として、あるいはパブリックマインドという会社以外の社会に、ビジネスマンとして社会に自分は生きているんだという意識をもたせる必要があるだろう。それは方法として、ちょっとこれは目的が違ってきちゃうんだけれども、税制改革、徴税法の改革というのをやればいいんじゃないかということになるわけですよ。
運営者 組織と一体化しているアイデンティティーというのが今まであったわけですよね。だから社畜だの会社人間なんて言われるわけで。
大体そういう人たちはどう思っているかというと、そういうふうに組織に滅私奉公するのが日本人の生物学的な、持って備えた能力であり、これこそが日本人の大もとであるぐらいに思っているわけですよ。
手塚 ある種、そういう組織の中に自分の自我を埋没させるというのは、山本七平の『日本教について』じゃないんだけれども、日本人の宗教そのものなのかもしれないね。
運営者 宗教的なまでの信念にまで高められていて……。
手塚 そういう社会のように、キリスト教あるいはイスラム教のように極めて明確な一神教のシステムをとっているところというのは、個々人というのは神様と一人一人が対峙する独立の個性でなければいけないという、そもそもそこが違うんだね。
運営者 そうすると、そういう人々は「組織人間である自分のほうが日本人の大もとに近いんだから、手塚さんみたいにバタ臭いことを言っているやつはアメリカかぶれでろくなもんじゃない」という正統性意識という点では彼らのほうが強いんですよ。
手塚 それは個人で思っているというよりは、組織を守るための発想でそれが出てきているんでしょうね。
運営者 だから、軸足を組織じゃなくて、もっと社会全体に向けたらどうですかというふうなことですよね。
手塚 うん。そう。