どの視点から見ても正しい企業になりなさい 日本ビデオニュース社長 神保哲生氏
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神保 それが一つだし、それからもう一つはね、こう言ったら少し乱暴に聞えるかもしれないけど、企業をやること自体が一種のリスクなんだよ。つまり、本音で言えばこういうことだよ。
「今回の取材を受けるも勝手、受けないのも勝手。取材を受けた結果、あなたたちにとって、受けて良かったと思うか、受けなきゃ良かったと思うかも、まったくわかりません。受けないオプションもありますよ。
でもまあ、僕思うけど、受けないのが一番リスクが多いと思うなあ。なぜならば、申し込んで受けなかったと言った瞬間に、僕、あなたに対して何を言ったっていいんですよ。一応、僕として、それを書くことにそれなりの正当性があると考えさえすれば、いったん与えた反論権を却下するわけだから、裁判で欠席裁判をしていいっていう話になるでしょう」
結局は、企業をやるとなった瞬間に、あらゆる点から裁判で……裁判って本当の裁判じゃなくても、例えば記事という舞台においても、被告側に上がる可能性があるわけだよね。
それで、裁判で弁護側は、「あるところで線を引きたい」と、つまりあれは、例えばインサニテイー、「頭かおかしかった」というとこで線を引きたいと思うかも知れないけど、取材側が、そこを対立軸にしてくるかどうかなんて、わかんないじゃない。全然違うところを対立軸にしてくる可能性もある。僕らがどういうところに線を引くかっていうことにおいては、インサニテイーに対立軸を置こうとしていた企業側からすれば、「全然言い分聞いてくれなかった」というふうな意味になってもおかしくはないんだよ。
でもそれはもうリスクだよ。「じゃあ、欠席裁判をやりますか」っていうこと。出ていけば、「情状酌量の余地がある」と主張できる。でも、全然違う論点を検察側から出されて、結局裁判の争点がそうじゃない方向に移っていく可能性って常にあるよね。そうなった時に欠席裁判やりますかってことだから。だから企業をやるなんて、そういう意味では、とっても大変なリスクだぜ。
でもそれだけやっぱり企業は、環境を消費し、資源を消費し、環境に対して負荷をかけるようなものを出し、なおかつ一般の人でも消費した人も、その消費したものが結局は環境にまた最終的には放出されてるわけだよ。
運営者 今は物の話だけだけど、他にマンパワーも資本も一緒じゃないですか。有限な資源を企業が使っているわけだから。
神保 だから、その責任の重さを考えれば、そんなのリスクもなにも、企業にとっては当たり前の話だよ、それぐらいはさ。
で、極端に言えば、「あらゆるところから、どの視点から見ても正しい企業になりなさい」っていうことなんだよ。それは不可能なのは分るけど、「そうじゃないんだったら、その点を変えなさいよ」と。つまり不利に書かれたとしたらね。
その不利に書かれた内容が、事実に基づいてないんだったら、勿論、法的な行動を取るってことはある得るさ。つまり、嘘を書かれちゃったと。でも、「不利なところだけを抜き出して書かれた」って言って文句言っても、「不利なところがある方もいけないんじゃない」って、僕ら言ってもいいんだよ。そこは勿論ジャーナリストだから、ただ単に攻撃するためにやるのでなくて、それなりに、自分としての公正を保つための対立軸を描く必要があるわけだよ。でも、その対立軸の描き方が企業にとっては、「そこで軸を打たれたら、うちは不利だよな」っていう話になっても、取材側はそんなの全然気にする必要はないと。