「我々が当事者なんだ」というテーマを選ぶ
運営者 それで、取材するときに何をテーマとして取り上げるかは、どうやって決定するわけですか。
神保 「何を取材するか」という選択は、会社に勤めている時とフリーランスのときとで、選択の自由度に違いがあると思います。僕は中学生の時にアメリカに渡って、アジア人というマイノリティの立場を初めて味わったわけです。そのときに不平等について考えるきっかけが与えられたし、77年にスーザン・ジョージという人が書いた『なぜ世界の半分が飢えるのか』(邦訳・朝日新聞社)という本を読んで、感銘を受け、「開発経済」を自分の一生の仕事にしたいと思いました。
食糧を外国に輸出しているスーダンで年間200万人から300万人が餓死しているのは一体なぜなのか。スーダンでは換金作物しか作らず、それを日本やアメリカなどに輸出しているからなんですね。そうすると、「自分たちの社会の今の繁栄が何の上に成り立っているのか」という根底のところを考えさせられました。腹一杯食べて、「人生で俺は何をしようか」なんて悩んでいる場合じゃないよね。
しかし、開発経済のようなテーマはカネにならないし、会社の中ではなかなか活かしてもらえないので、フリーランスの道を選んだわけです。
テーマを選ぶときには、「いかにして多くの人にこれは自分の問題なんだと思ってもらえるかどうか」が非常に重要だと思います。なぜならば、多くの人がほんのちょっとでも動けば、山全体が動くからです。それは、アメリカで雪かきをしている人を見てそう思いましたね。日本だと、雪が降ったときに雪かきをしていると変人だと思われますが、アメリカでは普段は酔っぱらいでも、雪が降ったときにはごく当たり前に自分の家の前の雪かきはちゃんとするわけです。そうすると、日本のように都会でちょっと雪が降っただけでみんなが滑って救急車で運ばれるということを防げるわけです。
ですから、5年前から取り組んでいる対人地雷についての報道も、僕がこれを取り上げようと思った決定的な要素は、「日本が100万個の地雷を保有しているという事実を聞いたときでした。 それを聞いてぼくは驚いたし、それならみんなも驚くだろう、そして地雷というのは「対岸にかわいそうな人たちがいるね」という話じゃなくて、「我々が当事者なんだ」というところがテーマ選定として一番重要なことだったわけです。テーマにはローカル・アングルが必要で、それがなければ見てもらえないと思います。それも「同じ人間としての問題だ」というのではまだ遠くて、自分の住んでいる地域や街の出身者が絡んでいるところがなければならないと思います。
運営者 では、どうやってネタを掘り起こすわけですか。ネタ元に如何にしてたどり着くか、どのようにアンテナを張っているのかについて教えてください。
神保 アンテナはたくさん出しておきますが、「この辺に情報がありそうだな」というような嗅覚ではあまり行動していません。僕がそういうふうに思うのなら、他のジャーナリストもそう思うに決まっているから、そこから出てくるものはたいしておいしいものではない。
全然そういうところではないところに、自分しか気がつかないネタの入口があるんです。そこから掘るからジャーナリストとしての独自性を伸ばすことができるのではないでしょうか。自分の普通の生活をしていて、でも自分と同じ生活をしている人はそうそういないはずですから、そこで触れる情報は自分だけのものでなわけです。そこにはなんだかんだ情報があるでしょう。