最初に立てた仮説の「面白さ」が失われなければ成功
運営者 その中から神保さんがネタを見付ける瞬間を教えてください。なぜどうやってネタを見つけることができるのでしょうか。
神保 それはひとつは運ということがあると思います。
それに加えて、実はネタというのは本当はいくらでもあるんです、ただ気がついてないだけなのではないでしょうか。そのネタがおいしい料理として提供できると思うのは、一瞬のことですよ。材料を見て、瞬間的に皿に載ってるイメージが見えるときがあるんです。
「これは栄養がある材料だけれど、巧く料理するのが難しい」と思っている、けれどたまたま横にある材料を付け合わせとして並べてみると、「これはいける」。読者や視聴者が、ナイフとフォークで食べているところや、箸でガツガツかき込んでいるところが目に浮かぶわけです。そのイメージにも、いろいろなパターンがあります。「これはかなり食いついて読んでもらえるな」とか、「これはちょびちょびと最後まで読んでもらえるな」とか、「これは最初は"ふーん、そんなもんか"と思って読み始めて、徐々にボディーブローのように利いてくるな」というふうな感覚がありますね。
逆に、「この材料を何とか世に出すことはできないかな、これで何をつくれるだろうか」とぐずぐず考えているような場合は、結局料理についての判断力がないので、本当は刺身の方がうまいのに煮てしまったりして、結局うまくないでしょう。
運営者 で、取材した結果つくられる最終的なものは、どのようなものでなければならないでしょうか。
神保 「このネタで行ける」と考えたときには、皿の上に乗っている料理がわかるだけではなく、レストランのテーブルクロスの柄までわかっていると思います。
つまり、「僕はこんな料理をつくるんだ」という、自分としておもしろい仮説を立てて、それに沿って取材を始めるわけですが、その仮説の方に「なんとか持っていこう」とする必要はありません。むしろ十中八九そうはならないわけで、仮説はぐるぐる変わっていくし、自分でも意図的に脱皮させていくわけです。しかし、その最初に立てた仮説の中で「面白い」と思う理由がその過程で消滅してしまうと、その取材は外れなわけです。そういう魅力的な仮説を立てられるというのが大切だと思います。