「僕に話すと"公"になりますよ」というのが取材の前提
運営者 それはわかります、しかし相手から話を聞き出す時には、相手の心を開かせなければなりませんよね。それについてはどのような努力を払っていますか。
神保 それにはさっき取材者を選ぶときに言ったカテゴリーの使いわけが効いてきます。
オン・ザ・レコードで公人に取材しても、彼らは海千山千ですからいろいろはぐらかせて答えるわけですが、こちらがまず「量の取材」をしっかりしていれば、「これは彼の本心ではないけれど、立場として言っているのだ」ということを、きちんと判断することができるわけです。だから相手が本心から答えていることかどうかはということは、あまり問題ではないですよね、
「いま彼が言ったことが本当かどうか」を、顔つきや目の色で判断するのは危険です。ウソ泣きだってできるわけですから。だから裏取材を十分にして、オン・ザ・レコードの話についてもどのくらい本心から言っているかの真実度をこちらが自信を持って判断できなければ、素材として使う気にもなりません。「今の発言はおいしかったな、使っちゃおう」という誘惑は常にありますが、それは自分自身に対して、ひいては読者・視聴者に対して過ちを犯す可能性があるんです。
そういう意味では、乱暴に言うと9割は「量の取材」が大切なんでしょう。オフレコ取材やデータベースを使ったリサーチが重要です。
それから、公人としてインタビューしているのに、個人としての発言をする人もいます。しかしわれわれとしてはその人の本音が欲しいわけではなくて、公人としてのアカウンタビリティを実践しているものでなければオン・ザ・レコードでは使えないわけで、例えば相手を怒らせて取ったような話は使わないし、また個人としての意見を言っている場合は、「いいんですか、これは公人としての話として報道に出ますよ」とこっちから注意をしますよね。
運営者 それでは、公の立場ではない私人から、本人がしゃべりたくないことを聞きだすような場合はどのようなことに気をつけますか。
神保 「取材は無条件でなければならない」というのが原則です。僕は取材を厳しく定義していて、「今あなたが僕に話したことは、僕個人に話したのではないと思ってください、僕はパブリックの窓としてここに立っていると思ってください」ということですよ。オンレコで話したことは、本人が話している画像を使わなくてもナレーションでその人の発言を使うこともあるわけですから。
「僕に話すと"公"になりますよ」というのが取材の前提です。
だから、「これは取材行為です」とはっきりさせることが大切でしょう。よく週刊誌の記者などなどで、いきなり話し始めるので、「ちょっと待ってください、これは載せるんですか」とたずねると、「ええ載せます」というので、「じゃあ取材ですね」と確認することがあります。オンレコで話したことはどのような記事のコンテクスト(文脈)の中で使われるかわかりません。書く側に悪意があれば曲げられてしまう可能性もあります。ですから取材に応じるときは、書かれるということを前提にした話し方をしなければなりません。それでも、興に乗って口を滑らせてしまって、あわてて最後に「……という話を聞いたりもするけれどね」、なんて付け加えたりすることもありますが。
運営者 「取材です」とはっきり言わずに聞いた話は、すべてオフレコな訳ですね。
神保 もし僕が、「僕に話したことはいつ書くかわかりませんよ」なんていう態度だと、一緒に昼飯を食べてくれる友人すらいなくなってしまうじゃないですか。「おれ、離婚するかもしれないんだ」なんて僕に話したことが、翌日の新聞に出るなんてことになったら……。
書くことを前提にしない取材というのは、われわれは毎日調べ物とかやっているわけですから。