運営者 それで、「取材拒否」というのはまだいいと思うんです、というか、ある意味正統性のあることです。ところが京都の旅館に取材を申し込んだら、「原稿を見せてもらえないのなら、書かれたことに私たちの言葉として責任を持つことができないので取材はお受けできません」というご丁寧な返事が来て、さらに驚いたんです。メディアを信じてないということですよ。この人たちはテレビも新聞も見ないんでしょうかね。
神保 まぁ確かに、メディアに対する信頼がないし、フェアに書いてくれるという確証も持てないかもしれませんね。僕だって、まったく知らないメディアで、なんの意図で来るのかもわからない場合は、相手がどういう記事をつくっているのかを確認するし、その結果、相手に悪意があるとか能力が低いということがわかったら、取材に応じても時間の無駄ということになってしまうから断るケースもありますよ。
取材拒否をする自由はあるんです。
公的な影響力を行使している人や組織は例外で、アカウンタビリティが生じるのでその自由はありません。税金をどう使っているかということ知らせる義務はありますから。そうじゃなきゃ、納税者はたまったもんじゃありませんよ。
しかし一私人については、忙しいとか、単純にメディアが嫌いだという理由で取材を拒否するのは全く自由ですよ。表現をする自由はあるので、「メディアに出たい」とか、「社会的な意味があるからリスクがあっても協力するよ」とか、「名前が出ることによって商品が売れる」という利益につながるということでメディアに出るという自由はあります。
また全くその反対に表現する自由を行使しないという自由もあるでしょう。
しかし、それと「原稿を見ることができないから取材に応じるわけにはいきません」というのはまったく別の話です。
運営者 そうなんですよ。ところがそれを正当性のあるロジックだと疑っていない人が多い。教育を含めて解決すべき重大な社会的問題のひとつだと思います。
こちらとしても「適当なごまかしを言って広告として使おう」と意図されるよりは、取材拒否してもらった方が、余計な時間を節約できてありがたいと思いますね、まったく。
ところで企業については、半ば公の立場だと考えることができると思うのですが、いかがでしょうか。
神保 例えば、一人で作ったものを、一人にしか売っていないというふうな極端な会社があったとすると、そこに「私はジャーナリストだ」と押し掛けて行って「取材に応じろ」というのはお門違いだと思いますよ。
運営者 そういうケースは、個人の資産運用をやっている投資顧問業とか、ある種のプライベートバンクだと、あると思いますね。
神保 一般の企業の場合、まず企業は株主のものだから、株主に対するIRということで取材を受ける必要性があります。
次に、企業も公的な影響力を行使しているということがあります。そうすると、メディアに対して「取材に応じる応じない」というふうに考えるのではなく、「メディアを通して自社の情報を世の中に流す」という考え方があるわけです。メディアはしょせん媒介者でしかありませんから、「情報公開するかどうか」という問題として受け取るべきでしょう。「公開したい」と思う会社はすればいいし、したくないも企業はしなくても良い。組織の属性によって、どこまで公開するかについては段階があると思います。