ジャーナリストの動機
運営者 では、ジャーナリストに必要な信念とは何でしょうか。神保さんを動かしている核になっている動機は何ですかね。
神保 僕の場合は、誤解を恐れずに断片的に言うと、まず自分の書いたものや作ったものが多くの人に読まれるのが喜びですよね。小学校の時の壁新聞からスタートしてますから、いいものを書くと足を止めて見てくれる、それを味わいたいという動機があるわけです。
それから、自分が「これだ」と思ったものを、仮説を描いて、それを取材で裏付けして報道するわけですが、それが人に影響しているのがわかるときがあるんです。「ああ、この人はどこかで僕が作ったものを見たな」、ということは分かる瞬間があるんですよ。
それは自分が人を動かすとが楽しいというのではなくて、自分が最初に考えたものの何パーセントかが多くの人の脳味噌の中に入って行って、それが命を持ち始めるわけです。その結果がどういう形になるかは分からないけれど、それはとっても楽しいことなんです、僕にとっては。だって、ほかの人には気付かなくて、僕の中にある蓄積があるから見えてきたネタで人が動くわけですから。
もうひとつは、取材を楽しんでいるところがあると思います。だって、「あの人、面白そうだから会いたいな」と思っても、取材目的だから許されるわけであって、そうでなく、単純に会おうとして追いかけたらストーカーになってしまいますよ。
アメリカから日本に来ている人を、のこのこホテルの部屋まで訊ねていくわけですから。寝ている人を起こして、「ちょっと起きて、話を聞かせてくれ」というと、10人のうち8人まではラウンジに降りてきてくれますよ。そういうのも、「そこでいろいろ質問したことを、僕のジャーナリストとしての客である読者や視聴者に、将来的に何か還元することができるだろう」と思うから、僕にとっては良心の呵責はないわけです。
それがもしビジネス目的だとすると、ホテルの部屋まで訊ねていって、話を取るというのは、どう考えても正当化できないことだと僕は思いますね。
運営者 向こうとしても、日本という訳の分からないところに来て、神保さんのような人間を知っていれば何かと便利で、いろいろな所とのつながりができるというふうに考え、付き合ってくれるところがなにがしかあると思うんです。
そこでまた僕がいつも悩むことなんですけど、取材対象者は「利益を得るためにジャーナリストと付き合っておこう」と考えている人が十中八九だと思うんです。しかし、われわれとしては読者の利益を常に考えているわけで、われわれの利益はそこにしかないわけです。そうすると、取材対象者の利害とは一致しないわけで、どこまででも平行線なわけです。ここのところを勘違いしている人が非常に多い。この誤解を何とか解くことができないかな。