「コクーン」という幻想
織田 聡氏
運営者 それを称して私は「新日本国人」と言っているわけです。
じゃ、そういうふうな人間の一つのあり方というのは、自分自身で物事を決めること繰り返すことによって、判断能力、判断をする経験を積んで行って、最終的に大きな決断をする能力を身につける努力をしているということですね。
織田 僕の場合たまたま入った大きな会社が、しばらくしてから業績が悪くなって、その時に自分のスキルや自分の生存可能性を意識せざるをえなかったんです。もし僕が、例えば興銀とか、当時の三菱銀行のような会社に入ったとしたら、もしかしたら男芸者で、なあなあで来てしまったかもしれません。そういう意識の転換を迫られるような会社に入って、20代前半の時から、「自分はどうやって生きていくべきか」ということを考えるようになったのは、逆説的ではありますがある意味ではよかったかもしれません。
運営者 今は、どの会社にいる人でも、「自分は一生その会社にいることができる」という信念は揺らぎつつあります。「自分自身で独立して生きていかなければならないんだ」という観念を持つということは、異常なことなんでしょうかね。
織田 今までに日本の企業や、日本の親たちが、まったく考えさせようとしなかったことでしょう。だから異常といえば異常かもしれませんよ。
運営者 なぜ考える必要がなかったんでしょうね。
織田 結局それは、今までの日本には個人とか会社を庇護するような大きな膜が、何重にもあったからではないかと思います。
運営者 コクーンですな。
織田 日本全体にも、アメリカの核というコクーンがあって、業界そのものも国が守るというコクーン、会社も業界というコクーンが守ってくれる、従業員も終身雇用というコクーンで守られている。
運営者 非常に固定化された関係がそこにあったわけです。
織田 一種の農村型共同体だと思います。だけど「外の世界にはもっと面白いものがあるんだ」と思ったらば、「外で働くことができるような人間になってみたい」と思うのが普通じゃないかと思いますが。以前いた会社にも、「どこかに出たいな」と思っている先輩や同僚も当時いることにはいたのですが、やはりいまだにそのまんま残っていたりします。それはリスクを取ることができなかったわけです。
運営者 しかし今や大企業に残っていることが最大のリスクになっている。