自分自身の「価値提供能力」が生活を保障する
織田 聡氏
運営者 では、新日本国人としては、自分自身で重要な物事を決めることのできる判断力をどのようにつけていけばよいでしょうか。そのトレーニングの方法は。
織田 人間は安寧を好むわけです。
安寧、安穏。確かに心地いいですよね。だけど、僕は自分の社会人生活の中で、「自分が今居る会社にいるのが安穏だ」と思ったことは、1年ぐらいしかなかったですね。それは三菱総研に入った最初の2年くらいです。20代最後の2年間くらい。それ以外の時期は、その年齢年齢に応じて、「自分自身は生きていくために何をしなければならないか」について常に考えていたような気がします。
運営者 わかります。僕も「これじゃあいかん。何をするべきだろうか」と考えていたのは全く同じですよ。もっとも僕の居た会社は、安穏に思えるほど大船でなかっただけなのですが(笑)。
織田 じゃあなぜ僕がそのようなことを考えていたかというと、それはだれからも言われたことではなくて、歴史を勉強していたからかもしれません。
学校で教えてくれる歴史は政治や軍事の話が中心ですが、それだけではなくて、経済史を勉強すると、どんな会社をとってみても経済的に安定した時期というのはほとんどないわけですよ。一本調子で40年も50年もずっと成長を続けている会社というのは決してない。どこかで蹉跌があって、どこかで成長が反転し、そこで消えてしまう会社もあれば、消えてしまう前に復活する会社もあるけれど、その前には会社の中身ががらっと変わったりしているわけです。
かつては石炭や繊維会社にいた社員たちが、三井鉱山なんていう会社は今でもあるけれど、その中にいる社員たちがハッピーかというと、必ずしもハッピーじゃないと思うんです。会社がつぶれなくても、生き長らえていくことができればいいと思えれば別なのでしょうが。
そういった企業の歴史を知ると、「自分自身が世の中に受け入れてもらうことができる価値をつくっていかない限り、自分の所得は保証されないだろう」と思いますよね。
会社が自分の給料を保証するのではなくて、自分自身の価値提供能力が自分自身の生活を保障するということが自然に見えてきたんです。
運営者 それは、「仕事の楽しみとは何か」ということと裏腹で、仕事の楽しみというのは何かというと、自分が重要な意思決定や判断をして、その結果非常に大きなプラスを、顧客や会社や株主にもたらすことができるということなんじゃないかと思うんです。ある種、ゲーム感覚に通じますよね。しかしそれをやるためには、自分がものごとを判断できる能力を蓄えていかなければ意味ないわけでして……。
織田 その能力を身につけるためには、まず外部の情報に進んで接することだと思いますよ。概して村落共同体的である日本企業は、社員が外部と接触することを嫌いますよね。少なくともあまり歓迎しない風潮がある。
運営者 まったくナンセンスなことだと思いますね。
織田 すごいナンセンスでしょう。それは「顧客を見るな」、「市場を見るな」、あるいは「ライバルを見るな」と言っているのと全く同じことですよ。本田宗一郎が偉かったのは、自分の会社の車を従業員に買わせなかったことです。彼は社員に「他社の車を買って勉強しろ」と言った。
運営者 トヨタじゃあ、そんなことは許されないでしょうね。また、今のトヨタならやる必要もないことだと思いますが。