経済観念が欠落しているから平気なんじゃないの?
織田 聡氏
運営者 今までは企業側で管理したリストラだったけれど、今度やってくるのは有無を言わせぬ企業間競争の結果としての敗北、淘汰だと思うんですよ。
織田 「生き残り」ということはなくなるわけですよ。「勝ち残り」しかないんです。「息も絶え絶えに生き残る」という会社はなくて、筋骨隆々とした会社だけが戦争の後に結果として生き残っているということになるでしょうね。
運営者 それが当然のことだと思うんですけどね。
甘いですよ。「都銀はお上から金をもらって生き延びるんじゃねえ」と思っちゃいますけどね。いかに金融が公共財的な機能を持っているとしても。僕は東京三菱を使ってます。そんなに残高はないけど……。
織田 企業も個人も、ぎりぎりの状況になって始めて、自分の能力を棚卸しして、「どうやったら生き残ることができるか」を真剣に考えるし、その時点になってやっと「足りなかった投資をしよう」という方に考えるんだけれど、
運営者 それじゃあ遅いんですよね。
織田 どんな会社にいても、日ごろから「成果を出せなければクビだ」という環境に居れば、「自分自身のスキルを向上させよう」とか、「自分自身の価値を上げていこう」というふうに考えるはずなんです。でも、村落共同体のような大企業においてはそれはないでしょう。会社としても従業員の価値を上げていこうという気もなければ、個人としてもそう思っている人は少ない。恐ろしい世界ですね。
運営者 それはね、結局竹中先生に聞いたんだけど、「経済観念の欠如」に由来するものではないかと思いますね。
それをモジュール化して言うとね、モノの値段というのは、需要と供給の原則によ決まるとか、あるいは機会損失というものがあるとか、あるいはリスクは回避することもできれば分散して取ることもできるとか、限界効用の考え方とか、受給があるということは、負担があるということであるとかいう、非常に簡単な原則、これらが身についていないわけです。それがなぜ身についていないかというと……。
織田 日本が社会主義国だったから。
運営者 でも、社会主義国ならそれを全然考えずに済むのかと。計画をしている連中、ゴスプランの連中は究極まで突き詰めて考えなければならなかった。それでも失敗したんだから。市場というものを知らなかったからですよ。
で、まさに日本の大企業はゴスプランをやっている。それは結局ナチスの国家社会主義に由来するものなんです。それを戦時体制をつくるためにまず役所が取り入れて、次に企業が取り入れていったわけです。この仕組みの中では、頭のいい人間だけがそうした計算を行っていればいい。下々はただその上からの指示を信頼していれば、そのような経済観念も持たずとも、またどのように行動しようとも、生活設計をしようとも、生きていけなければならない。下々の者たちは、どのような商品の選択をしようとも、責任を問われることはない。政府が保護するべきだということになっている。
織田 特に銀行なんて、経営がなくって、特殊法人のようなものだったと思いますね。
運営者 僕なんかは昔よく言っていたのは、「銀行を民営化せよ」と言ってましたよ(爆笑)。
そのような基本的な経済観念が欠如していることによって、多くの人は自分自身が戦略を立てて行動しなければならない、その意味では当然のことながら自分自身に対して投資するということが重要な意味を持っているというふうなことは考えることなく生きていくことができた、幸せな時代だったんでしょう。ですから、今現在もそのような経済観念を身につけている人はほとんどいないと思います。