文章力がない人間に思考力はない
織田 聡氏
運営者 その他に、ビジネス上の能力で日本人に大きく欠けているものはなんでしょうか。
織田 これを言うと非常に情けないのですが、「まともな文章を書く能力」でしょうか。まずね、文章すら書かないし、書いたとしてもまともな文章になっていないですよ。
運営者 そうすると、何が困るんですか。
織田 文章力がない人間に思考力はないわけです。
運営者 ほう、それはそうだ。
織田 文章をまともに書けない人間が、まともなビジネスプランとか、提携案とか書けるはずがないわけです。
運営者 確かに。
織田 文章を書けない、あるいは書けたとしても陳腐なものしか書けないということは、実はビジネスを真剣に考えていないということなんですよ。
運営者 発想力が貧困なわけですね。
織田 書くことで発想は得られるわけです。書かないで、「やっぱり感性だ」とか言っているうちは、何も生まれないですよ。
みんなカッコいいアウトプットにあこがれるしそれを求めているんだけれど、カッコいいアウトプットにたどりつくまでには、少なくとも3年にわたる地道な努力が必要だということを理解していません。
運営者 そうするとコンサルティング会社がやっているようなプレゼンテーションもそうそう簡単にできるものではないということですね。
織田 最後のプレゼンテーションの時のあの高揚感を得るためには、私生活も犠牲にした何ヶ月かにわたる徹夜の作業があるわけです。
それと同じで、成果を生み出すためには、別に睡眠時間を犠牲にしろとは言わないけれど、じっくりと考える作業が必要なんです。それを文章に落として、しかも人の評価を仰ぐというプロセスが必要なのですが、それを、大企業の人たちはあまりにもやらなさすぎです。評価するべき立場の人間が、評価能力を持っていないというのも、ごく一般的なことです。
運営者 鶏と卵になってしまいますが、自分で考える思考能力・評価能力を持っている人が評価するべき立場にいけなければならないわけですな。
織田 最相葉月の「絶対音感」という言葉がありますが、「絶対文章感」というのはあると思います。「この文章はちょっとおかしいよ」とか、客観的に評価する能力を持つためには、自分で文章を書かなければ「絶対文章感」は培われないと思います。でも、文章を書いてない人間がどんどん出世しているから……。
運営者 大企業では文章を書かなくても済むんでしたっけ。
織田 そうです。あえて極端に言わせてもらえば、何十年か前に先人たちがつくったモデルをそのまま踏襲していれば。 帳簿だけつけても、生きていけるわけです。文章を書くことを仕事としている人間は、実は日本の中ではかなり少数派だと思いますよ。普通のビジネスの文書は決まったフォームに書いてい行けば済むわけです。