国家の運命と企業の運命は、分けて考えることができる
織田 聡氏
織田 「ミッションをつくる」というのは非常に難しいんですよ。過去の企業のケースを見てみると、やはりミッションは後からついてきていますね。
運営者 だけど、その中にはジョンソン&ジョンソンみたいに、「これだけのものを掲げられると、社員は黙ってついていくしかないな」というような立派なものもありますよね。
織田 マリオットなんかもそうですね。
運営者 彼らの掲げたミッションは単なる絵空事と思えません。まさに見事なものだと思うんです。
で、エンパイアというのは、内向きな生活共同体になってしまうからだめになるんだと思うんです。それは組織構成員の生活自体が目的になってしまうから。だけど企業は顧客や社会に対する価値の提供、株主への利益還元があって、初めて企業としての体をなすわけです。
織田 カーポイントの主要親会社はマイクロソフトで、しかも日本法人経由ではなくアメリカ本社の直接出資です。ですから外資系企業でもあるんです。外資系企業に入ると、株主との距離が近いですよ。日本の大企業では株主の存在なんかほとんど感じないでしょうね。
運営者 株主とはほとんど持ち合いをやっているから痛みわけなんですよね。「いやあ、今期はうちはダメだったんですよ」「そうっすか、うちもですよ。お互いたいへんですなあ、はっはっは」。これじゃ駄目ですよ。そうかといって一気に持ち合い解消に走って市場が混乱しているという……。
織田 エンパイアは領域を意味するのであって、その中にいる構成員の生活の面倒をみなければならないという義務があるでしょう。
運営者 それは、国というのは生活を維持するものであって、やはりエンパイア的な価値観というのはビジネスの世界ではあまり普遍性を持たないと思いますね。
織田 プルーラリズム(多元主義)という言葉があるように、現代では一国の中でも多様な生き方が認められるわけですから。そもそも今は、国籍だって多元的になりつつあるのに。
運営者 としますとね、会社組織というのは、やはり国家やエスニシティといった生活の部分とは次元の違う存在のはずなんです。生活共同体とは違うロジックの上に乗っかっている共同体なんですね。
織田 ヨーロッパの多国籍企業は500年来のそういった歴史がありますから、国家と企業の運命を分けて考えていると思います。でも日本ではそんな訓練は全く出来ていなくて、これからようやく始めるかという感じですよね。
ソニーやホンダだって、ヨーロッパの基準からすると全然多国籍企業ではないと思いますよ。役員に何人外国人がいるかというとはなはだ心もとないですよね。例えば「ソニーの人事部長は何人か」と想像すると、すぐに「おそらく日本人であろう」「そしてまた男であろう」と思いますよね。
では例えば「ネスレとかABBの人事部長は何者か」と考えたら、国籍も性別も想像つきませんよね。「日本人男性」といっただけで世界の中で6000万人に限定されてしまうわけですが、こうした多国籍企業の人事部長となると、母集団は何十億人にも広がるわけです。もしかしたらロシア人かもしれない。
日本もあと何百年か経つと、ようやく今のヨーロッパの水準になるかもしれませんね。
運営者 フィリップスの現地法人なんか、オランダ人の社長がいないらしいじゃないですか。たった1年間で切り替えたらしいですよ。もっと早くそうした水準に到達しなければ、日本企業の競争力はもたないと思いますが。