母親との闘い、妻との闘い
織田 聡氏
織田 でもね、日本は母性社会なので、そのような社会ではなかなか「じゃあいっちょうやってみろ」というふうに冒険をさせないんですよね。誤解を恐れずに言わせていただくと、僕は日本の母親や、日本の妻たちというのが日本の男どもを去勢した戦犯ではないかな、と思うんです。
運営者 しかし母親という存在は、息子だけじゃなくて娘も同じようにスポイルしますからね。これは女性にはかなり理解しにくい事実なんですけど。そこは子供の方が戦わなければならないんですよ。「自分の母との戦い」というのは常にある。母が教え込んでくれたウソやまやかしの価値観を打ち破るのが、息子や娘たちに与えられた課題なんだと思います。それに各人が負けた時に、社会全体が負けるのではないでしょうか。
この前の戦争に負けたもんで、今は母性型価値観がかなり優勢だと僕は思いますが。
織田 まったくその通りだと思います。母親の植え付けた価値観を如何にして打ち破るか。
運営者 それを打ち破ることによって初めて大人になることができるのだと思います。
どんなに勉強したとしても、最後に打ち破らなければならないのは母親のコクーンなんですよ。これはでかいですよ。でもそれを打ち破るために、いろんな本を読み、いろんな人に会い、世界中を旅行して勉強するんだと思うんです。
そこまでの認識ができて、やっと大人になることができる。
織田 母親離れもそうなんだけど、別に離婚を勧めるわけではなくて、妻が反対しても「オレはオレのキャリア目標があるんだ」という生き方が望ましいと思うんです。
運営者 そういう姿勢でなければ奥さんとべったりになってしまうでしょう。それはよくない。配偶者との間でも常に適度な緊張感が必要だと思います。
織田 転職する時になると、こう言うらしいんですよ。「私は日本興業銀行の人と結婚したんであって、リーマン・ブラザースの人と結婚したんじゃありません」と。そう奥さんに言われたら。
運営者 どちらにしてもひどい組織だから何とも言えませんけどね。
お互いちゃんと、相手を自立した個人として認識し、相手のブランドとかをすべて取り去って、自分のパートナーとして相応しいかということを判断しているかどうか。配偶者決定こそ、ずっと前に話題になった「判断力」の一番大きな部分ではないかと思います、今の民法制度の中ではね。
織田 そうですよ。「カイシャというのは人生の中では泡沫の存在であって、たまたま今草鞋を脱いで身を寄せているにすぎない」くらいに思わなければ。
運営者 一宿一飯の恩誼ということですね。転職にしてもね、自分が納得することができる判断がなければならないわけではないですか。
配偶者の選択にしてもビジネスの上にしても。だから勉強するということは、重要な判断をするための鍛錬を積んでるんだと思うべきなんでしょうね、そういうイメージかな。