4つの「自」
織田 聡氏
織田 会社にしても、配偶者にしても、選ぶためには、自分の人生の目的とは何かを考えなければならないのですが、みんな見事なまでにそこのところが「言語化」できていないんだと思うんです。
運営者 ああ、だからちゃんと考えていなくて、「まあ、このセンかな」という感じで選択してしまっていると。
織田 そう。僕がアメリカに2年間行った最大の収穫は、言語化するということを学んだということです。で、配偶者選択の条件についても、留学の後半の1年ぐらいで言語化できたんですよ。
当時は今の妻に面識はなかったんです。日本から離れていた間にようやくモヤモヤとしていたものがだんだんハッキリと見えてきて、「自分にはどのような配偶者が必要か」という価値観が分かってきたわけです。だけど周りの人に聞いてみると、そうしたプロセスを踏んだ人はいないみたいなんですね。
運営者 みんな常に「配偶者選択」という状況に追い込まれているわけではないですから、そのような言語化ができるということの方がすごいと思いますけれど。
織田 ビジネスでは、常にそうした選択が迫られているではないですか。
運営者 ビジネス上でも重要な判断をするとか、あるいはネットワークをつくっていくということは、「人生とは何か」ということがわかっていなければできないことなんだと思うんです。そこのところで僕は、人間的魅力の重要性を感じます。
それはしかし古典的な、安岡正篤的な人間的魅力ではダメで、まさに今世界で起こっていることや、欧米的な価値観もきちんと受容する能力を持ったうえでの人間的魅力を如何にしてつくるか、それが個人個人に突きつけられている命題なんでしょうね。
僕ももっと修行しなければ。
織田 一生修行ですよねぇ。
結局、4つの「自」、即ち
何事にも制約されない「自由意思決定」
自分がすべての結果の責めを負う「自己責任」
それができる「自立心」と「自律性」
これを一人でも多くの人に身につけてほしいと思うんです。でもこれは百年前に福沢諭吉が言ってたこととまったくおんなじなんですけどね。
ということはこの百年間、日本人はいったい何をやってきたのでしょうか。
高度成長というものが日本的経営の温床になったわけですが、はたして高度成長にも意味があったのかを考えてみると、疑問だと思うんです。
運営者 ifの話ですね。
織田 なぜ高度成長があったかというと、敗戦によって経済のベースが限りなくゼロに近づいたために起こったとみることもできると思うんです。政府が軍備や、あるいは半島や台湾の経営に振り向けた金を、石橋堪山的な言い方をすると「民生」に振り向けた場合、そのままゆっくりとしたペースで今と同じような豊かな国になっていたはずなんです。
もし当時の為政者がロシアの帝国の弱体化を見抜いていたら、日本は日清日露という朝鮮半島をめぐる戦いをせずにすんだかもしれないし、その結果帝国主義に深入りにすることもなく、日英同盟の延長上で日米安全保障条約が20世紀の初めにでも締結されていたかもしれない。
戦争を境にしてまたゼロから考えようとさせる日本の歴史教育がよくないのだと思うのですが、明治維新から考えてみると日本は不要な戦争を何回もやっていることになるでしょう。
最近イギリスの研究者が書いた本で、16~17世紀の経済統計の本があるんです。それによると、17世紀には、日本は世界で第5位の経済大国だったんだそうです。1位は圧倒的に清だったそうです。日本はそこそこ人口も多かったし、そこそこ民生も発達していた。だけどいつのまにかはヨーロッパに遅れを取ってしまいました。
運営者 今織田さんがおっしゃったのは、農業国としてのパラダイムの話だと思うんです。
織田 そういう意味では20世紀初めのアルゼンチンと同じですね。
運営者 そうですね。当時は、「工業国家として次に躍進するのはアメリカか、アルゼンチンか」という議論が真剣に行われていたわけですから。