部品点数1万点が日本企業の組成力の限界
織田 聡氏
運営者 もう一つ、日本人に欠けている能力がありますよ。
ある自動車会社が、エンジン工場をつくったというんで見に行ったんですよ。それはそれは見事な工場で、「どうやったらこんなに精緻で複雑な自動化ラインをつくることができるんだろう。なんてインテグレーション能力に優れた人たちなんだろう」とほとほと感心しました。が、ここのエンジン工場は、その会社のアセンブリーラインとはまったく離れた内陸部にあって、そこから全国に散らばった組み立て工場にエンジンを運ばなければならないという非常に矛盾した立地をやっていたわけです。そうすると、「この人たちはアタマがいいんだか悪いんだからよくわからないな」と。空間経済学が成り立たない世界ですよ。クルーグマンもビックリ。
大局を見る目がないんですね。細かい要素技術には卓越したものがあって、目に見える範囲のものについては執拗に追及していくことができるのですが、コンセプチュアルなもの、あるいは今そこにないものをつなぎ合わせて総合的に力を発揮するということについては極端に想像力がない、あるいは組成力がないんだと思います。
こういう傾向の発想ですと、「部分最適化」することが全体にとってマイナスの影響を及ぼすということになかなか考えが至らないと思うんですよ。
織田 「日本人は、部品点数が1万点の自動車をつくるのは得意なのだけど、部品点数が100万点の航空機となるとつくることができない」という話がありますよ。日本にはボーイングは決して生まれない。ソニーとかトヨタとかはできるんですけどね。
運営者 ということは、どんなに技術があったとしても、日本は月に人間を送り込むことはできなかったわけですね。
織田 そうです。日本企業がなぜ化学に弱かったかというと、コントロールする要素技術がものすごく多いんですよ。だから石油化学はやはりダウとかBASFとかICIに負けてしまうわけです。「日本人が物づくりに長けている」とよく言いますが、それはある領域の範囲の話であって、そこから外れるととたんに日本人は強さを喪うんです。部品点数1万点以内ですね。そういう伊丹先生なんかの研究結果が出ていますよ。
運営者 それはおもしろい、けど僕は彼の人本主義というのは戯言だと思いますけどね。どうして「企業が株主資本を元手にして稼いだ余剰金の半分が労働者のものになる」と主張することができるのか、全く私には理解することができませんね。
それは置いておいて、そうすると、要素技術を集積するという能力にも限界があるわけですな。もしそういう自分が得意とする範囲を予め規定することができるのなら、自社の資源をそこに集中して投入するべきだと思います。金融が苦手なんなら、外国企業にやらせておけばいいでしょう。
織田 しかしもし金融が今後の成長分野であるとするならば、すべて外国資本に渡してしまっていいのでしょうか。金融サービスは一種のハイテクだと思うんです。
運営者 われわれはそうしたシステムをつくってコントロールする能力がないんでしょう。本来は、リテールでも企業間決済でももっとえげつなく収益を上げられる仕組みをつくることができるはずだと思うのですが。