必読書『戦艦大和ノ最期』
織田 聡氏
織田 結局ね、村長レベルの経営者しかいないということなんですよ。経営者というのはものすごくプレッシャーのある仕事だし、そのプレッシャーの対価として、高額の報酬を受け取ってもいいと思うんです。それはもちろん成果型報酬ですよ。
日本の会社の社長の給料で負えるプレッシャーなら、結局は村落共同体の長レベルでしかないんですよ。
運営者 とするならば、その村長は、「みんながまめに働いて安穏に幾らせればいい」というふうに考えてしまいますよね。でも僕はそれは違うと思うんですよ。長期的に見た株主の利益を最大化しなければならないわけですから。
織田 まったくマンガ日本昔話に出てくるような長閑な農村の話ですよね。
運営者 それが、現実のこの21世紀の日本で現在進行形だから怖いんですよ。
織田 しかもそれを良しとして、そうした構造を守ろうとする勢力がいまだに根強いというのが問題です。
運営者 そんなの勢力はごく近い将来駆逐されていくはずでし、大体そういう考え方を堅持している人というのは、「死なばもろとも」という感じだと思いますよ。
織田 その話でいつも思い出すのは吉田満の『戦艦大和ノ最期』ですよ。「日本改革の先兵になろう」と……。
運営者 あれは涙なくしては読めない。いま人に貸しているので正確なディテールがわからないのですが、沖縄特攻の前日の戦艦大和の中で、学徒出陣の下士官たちが、「われわれはったい何のためにむざむざ死ぬために沖縄に向かっているのか」と、殴り合いのケンカをしながら議論をして、「結局、日本はこの戦争に負ける。だけど、われわれは日本の復活のための礎になるために死にに行くんだ」と納得して従容として死に赴くわけですよね。自分の死に意味付けを与えられなければ、人間は進んで死ぬことはできないんですよ。
織田 今の日本のビジネスマンたちは別に今死ぬ必要もないわけだし、明日空が落ちてくるわけでもないし、戦艦大和の最期を迎える時の下士官たちのように、選択肢がないわけではない。とするならば、自分の生に意味付けを与えるために、今とは違う別の生き方を模索してほしいなと思うんです。
運営者 むしろありとあらゆる選択肢がわれわれの前にあるわけですよ。なんとありがたいことか。
織田 であるならば、今所属している集団のために自分の志節を曲げて殉ずる必要なんかちっともないわけですよ。もしも殉じなければならないのであるならば、企業からそれだけの意味付けを是非与えてほしいものだと思いますよ。せんだっても「県知事のため」とか、「土木部長のため」とか言って長野県の土木課の監理課長が選挙違反をやって捕まっていましたが、そんなことをするのはナンセンスだというふうに考えて欲しいものです。
運営者 意味付けを与える以前にナンセンスだと僕は思いますよね。なぜならば、本来の人間尊重の考え方というのは、自分の意思に反したことを強要され、自らの存在を失ってしまうということがないようにする、ということなわけですから。
織田 給料と引き換えで。
運営者 それではあまりに情けないですよ。「それが男の生き方か」と思うんです。