自分が価値を提供することで世の中を渡っていく生き方
織田 聡氏
織田 もしかして、僕は転職ですべてを失ってしまうかもしれないという可能性は常にあります。だけどそれはそれでいいと思っているんです。自分自身として、生を受けた以上、僕は自分自身の市場価値を上げていきたいと思うし、もし失敗してもいいような手を打ちながら、新しいことをリスクを取ってやっているわけです。
運営者 「もしリスクを取らずにこのままここに居続けたら、この先どうなるか」、そして「ここに居ることで挑戦の機会が失われているが、もしリスクを取れば何を手に入れることができるか」という、現在飼い殺しにされている機会損失をみんなに考えてほしいですよね。
織田 さっき申し上げた、空中ブランコから手を離せないようなリスクを取ることができない人たちもいっぱいいるんです。幸いにして僕はまだ子供もいないし、リスクが取れる立場にいるわけだから、そのような人たちのためにも敢えてリスクを取らなければという気がします。中には、「僕はリスクを取りたくても取れなかった」、だから僕のようにリスクを取った者に対して「がんばってくれ」というシンパシーを感じている人もいるんです。
運営者 リスクが取れるということは実は恵まれた立場であるということですね。人間として、独立した個人として生きるのであるならば、リスクを取るべきである、しかし、自分はリスクを取ることができないという引け目を感じることがあるのでしょう。僕なんかは、言ってはなんですが、すごい優越感がありますよね。「やれるものならやってみろ」と。「お前ら、バッチつけて威張ってるんじゃない」と(笑)。
織田 その気持ち、すごくよくわかりますが。
運営者 つまり自分が提供する価値によって世の中を渡っていくことができるというのは、最も自立した人間なわけです。それができないから会社にしがみついているわけであって。
織田 三菱総研では社員章があったのですが、コンサルティング会社に移るとそれはなくなりました。一日だけ違和感があったのですが、「これが外資系だな」と思いまして。すごく新鮮でしたね。
運営者 それは外資系企業は、社員に「お前ら会社にぶら下がるな」と言っているわけですよ。
織田 自分が価値を与えられなかったら、会社から首を切られてしまうし、自分自身にとってそこにいるメリットがなくなったら、自分から去っていくわけですし。クライアントに会いに行くのは会社の看板で会いに行くのではありますが、最終的には自分自身がつくり出したアウトプットの価値によってクライアントから評価されるわけですから。
運営者 その仕事その仕事ごとに勝負しているわけですね。仕事というのは、そういうことだと僕は思っているんです。どんな仕事でも、いつでも常に、たとえマクドナルドの店員であろうとも、その気持ちでいなければならないはずです。僕は、雑誌をつくっていた時は、記事の一つひとつについて毎回違う挑戦をしようと思っていたし、毎回毎回その前の仕事よりはいい仕事をしようと思っていたし、常に違うパートナーと組んで仕事をしようとしていました。それがなかったら、仕事をやる意味はないと思うんです。
織田 「自分が付加できる価値というのは何か」ということを、常に感覚を研ぎ澄ませて考えることができるかどうか。それを一人一人が考えなければならないですよ。