情報信頼性評価の考え方とは
運営者 メディアは権力かも知れませんが、ジャーナリズムは非常にひよわな存在で、信用を落とすのは一瞬のことです。だからジャーナリズムは社会的に必要な機能として、株式市場と同様にその公正性をみんなが監視し守っていかなければならないと私は思っています。しかしそういう認識は一般的にはほとんどないし、メディア人自身も意識していません。ジャーナリズムの社会における位置づけが社会的に認識できていないからです。
だからメディアは信頼されないし、メディア内での信じられないような不祥事も後を絶ちません。そこでメディアは求められている機能を果たすためにどうあらねばならないのかを考えてみたいと思うんです。
三神さんは国の研究機関にいた頃からメディアについての情報信頼性評価を研究されているそうですが、この情報信頼性評価というのはどんなものなんですか?
三神 まだ確立されていない分野で、私も今はフリーランスの立場でといいますか、ジャーナリスト業務をしている実務家として研究しているレベルなんですが。
現在ではだれもがニュースや言論を自由に発信できるようになって、品質がよくわからない情報が瞬間的に世の中に広がってしまうリスクが高まっていますよね。それで、情報の取捨選択の時に何を目安にして信頼性を判断したらいいのか重要になってくるわけなんですが、紙か画面かといった媒体の種類を問わず、そこに載っている情報の信頼性を評価する手法というのは実務レベルでいろいろな考え方が出てきているんですね。
学術的にはもっと根本的な「信頼性」の概念から掘り下げられていて、哲学上の考え方や法律上の考え方、本当に多岐に渡るんですが、このあたりは山岸俊男先生の『信頼の構造 ―こころと社会の進化ゲーム』(東京大学出版会)に詳述されています。
今日はあくまで実務レベルの、それもプロフェッショナル・・メディアが、情報利用者の評価のスクリーニングを今後くぐれるのか、という視点でお話します。アマチュアとの差、プロフェッショナル・メディアが存在し続けるには、メディア自身がより研ぎ澄まされた評価手法を持つべきなんじゃないか、というロジックですね。
まず、現状でどんなものがあるかといいますと、利用者がウェブ上で、自分がと思った情報に推薦ボタンを押す方法がありますね。一般的にこれは知られていると思いますが。「評判」を目安にして、「この情報は評判がいいから信頼できる」と考える方法です。根拠は受け手の心象です。これは、どのマスメディアが信頼できると思うか、米国のNPOなどが盛んですが、読者や視聴者にアンケート形式で聞いて、情報発信者のランク付けをするのと同じ発想です。
これに対して、逆にどうやったら信頼性を獲得できるか、という情報発信者のための評価手法もありまして、スタンフォード大学のPersuasive Technology Labが作ったウェブ作成者のための信頼性構築ガイドラインが代表例で、デザイン面などにも触れています。
公共に情報発信するプレイヤーがもはやマスメディアだけでなくなっているわけですから、信じてもらうため、選んでもらうための競争が増えていて、いわばそれに応えるアプローチですよね。
ところがこれではとどまらなくて、同じ情報発信者の「選ばれるための」目線でも、コンテンツに求められるプロ度といいますか、作る文書の精緻さが極めて高いレベルで求められる職業になってきますと、見る人の心象に頼るのとはまったく別の、絶対評価的な考え方が登場します。
しかも、これは情報を発信するときの評価手法にとどまらなくて、発信する情報を作っていく全工程に関わってくるんですね。情報を受信するとき、加工するとき、発信するとき、すべての段階で信頼性を担保するための高度のノウハウがあって、心象による評判に頼るのではなく、これに則っている度合いで情報の信頼性を評価しようというアプローチですね。
海外のロースクールで行われているリーガルライティングの教育や、ジャーナリズムスクールが一部やっている情報源の評価訓練などがこの範疇ですが、守備範囲にしている文書種類の幅が広いという意味では米国の大学図書館が作っているチェックリストが典型かもしれません。
運営者 どんなものなんですか。
三神 大学ごとにかなり違っていまして、項目の概念も数もばらばら、過不足もあります。私もまだ数十校レベルでしか目を通していないんですが、整理していくと、ここではお話しきれない細分化された膨大な判断基準が項目化されていて、共通する階層的な作法といいますか、そんなものが見えてくるんですね。
例えば「情報の適時性・鮮度」という項目があって、メディア種類ごとの情報の耐用年数といいますか、情報価値があるとみなしていい期間の目安がリスト化されている。
「時刻単位ならウェブ、新聞は1-3日、雑誌は1週間、学術誌は1ヶ月、数ヶ月~数年単位は辞典・辞書・要覧等で、最低1年の耐用年数に資するものが書籍」
という具合です。これはデューク大の項目分けです。ただし、日本の書籍市場は新書やオピニオン誌のような「半プロ」的なパッケージがある特殊な構造を持っていますから、そのままこの評価手法を導入するのは危険だと個人的には思いますが。
それと、こうした媒体の種類によるフィルターの下に、例えばウェブであれば運営・管理状態の評価や資金提供者の評価といった項目がまたいろいろありまして、これらをくぐっていよいよコンテンツの中身の信頼性評価に到達しても、今度は発言者の言論なのか、執筆者の言論なのか、それ以外にも責任の帰属は編集者なのか、ページの管理者なのか、運営者なのか、そもそも広告スペースなのかといった区分で精査されていきます。ただし、この評価リストも「大学図書館が」作っている以上、アカデミズム寄りのバイアスがかなりあるんですが。