「メディアに出るリスク」を考えなければならない時代
運営者 なるほど、米国ではそんなリストが出ているんですか。三神さんがメディアについてその情報信頼性の評価方法に疑問をもたれたのは、なぜなんですか。
三神 経済・経営畑の取材をずっとやってきまして、特にプロフェッショナル・ファームや金融関係の実務家などの取材相手の方々から、率直に疑問を突きつけられることがあったんですね。
「マスメディアがもつ“Credential”って何なんですか」と。
金融関係や会計事務所、弁護士やコンサルタントや研究職など知識サービス、コメントや出す情報の質で稼いでいる人々にお話をうかがうときに、素朴に質問されるんです。
「今お話していることは誰のクレジットで出るんですか」
「マスコミは、記者さんが使いたいところだけこちらの話を間引いて使う。協力してもわれわれの信用が落ちるばかりなんですが、なぜあんなふうにするんですか」
……挙げればきりがないんですが、彼らは、
「悪く書かれると困るから、とりあえず機嫌をそこねないように対応しておくべきなのがマスメディア。プロとして同じ感覚でお付き合いできる人々ではないから要注意」
と思っていると、5~6年前くらいからでしょうか、ひしひしと感じまして。
運営者 一般的にはそうでしょうね。
三神 事件・事故のニュースを扱う方々を除いて、マスメディアには一般に、取り上げることを相手が喜ぶだろうという感覚が少なからずあると感じます。ところがプロ度が高いほど、法人顧客や特定の専門領域に入る個人顧客が取れればいい。彼らは、不特定多数の人たちに露出するということと、自分たちにとって必要なコミュニティに知られるということを明確に線引きしているわけです。
だから一般向けのメディアに出るメリットはあまりない。むしろ「いい案件がとれなくなっているんだな」と同業者に判断されてしまう恐れすらある。このあたりのパブリシティ戦略の発想は一部『プロフェッショナル・サービス・ファーム』(ダイヤモンド社 マイケル・パワー)で触れられています。
運営者 闇雲に露出してもしょうがない、選択的になってきているということだな。戦略的露出というか。
まあ、メディアのレベルはひどいもんですよ。「記者が使いたいところだけ間引いて使う」という相手の指摘は、おそらく以前に取材を受けた経験から、メディア側の専門性が低くて、自分の意図した通りの表現をしてくれなかったという経験に学んだんでしょうね。