変革を避けて逃げ切る時間があるか
運営者 さっきおっしゃった直接金融だと役員が送り込まれて来なくて、間接金融だと役員が送り込まれてくるというのもおかしな話だと思うのですが。出資しているのであれば役員を送り込んでも構わないと思うんですけど、融資している銀行側が人を派遣するというのは銀行の経営にとってもマイナスではないでしょうか。人材って、そんなものなのでしょうかね。
三ツ谷 まあドイツのことは脇に置いておいて、日本の銀行はこれまで日本株式会社の経営をやってきたんだと思うんです。銀行の社員が高給をもらっていたのは、結局彼らが経営者予備軍として育てられていたからであって、その付加価値の部分が、銀行員の高給になったのだと思います。
銀行は産業を育ててきたのでしょう。企業側に送り込まれた銀行の人材はもちろん資金のパイプということもあったのでしょうが、それ以上に成長していく企業に経営のノウハウを提供してきたのだと思います。それは明治維新のころからその傾向があって、大正時代には少し緩むのですが、統制経済になってお上が産業全体のデザインを書くようになってくると、そこでは「こう立ち回るのが一番うまくいくんだよ」ということがわかる人間が必要だったわけです。銀行とか経済官庁が強かった理由はそういうところにあるのではないでしょうか。
でも本当は、だれも実はデザインなんか出来ないんですけどね。
一人ひとりが自分が自由になるために一生懸命仕事して、分権化された中で成り立つ社会というのは、ペーパーテストができる情報処理型の秀才の優秀性が試される世界ではなくて、もっと違うタイプの人間が主役でなければこの社会が回らないというところで、限界を露呈しているのではないかと思うんです。
運営者 個人個人の創発性を発揮するためには、少なくとも人には個性があって、どんな人でも他の人よりちょっと優れている点があるはずなんです。そこのところをいかに社会的に活かしていくかという発想が必要だと僕は思うんです。
三ツ谷 まったくですね。
運営者 そういう意味では統制型の社会システムはそこの部分を押し潰してしまうことになるでしょう。
独自の思想を持たなくていいから、一緒懸命規律正しく上の指示に従って作業した人間の評価が高いというのは、西洋近代が目指した理念とは一番遠い人間も評価することになっていると思いますし、現状そうした人材をどんどん作ることになっていると思います。
つまりこういうことですよね、資本主義に発達段階があるとするならば、すでにわれわれは次の段階に向けてスタートしなければならない状況にきているし、その中で働いている人間も意識の転換を求められていると。それを「あえて対応するのがいやだから無視しておこう」というのは自殺行為だと思います。でも自発的に意識を転換しようとするビジネスマンが少ないというのもまた事実なんです。頭が良い人が多いから理解できないはずではないのですか。
三ツ谷 自分の時間を考えたときに、「逃げ切れるのであれば逃げて切ってしまおう」と思ってる人が多いのでは。